安土桃山時代の大名屋敷を飾ったとみられる金ぱく瓦(左)と幕末の京都守護職上屋敷跡で見つかった三つ葉葵紋の瓦
幕末に会津藩主・松平容保が務めた京都守護職の上屋敷の遺構が京都市上京区の京都府庁北側の発掘調査で見つかった、と府埋蔵文化財調査研究センターが26日発表した。京都守護職の屋敷遺構は初確認で、長屋の状況が当時の藩士の暮らしをしのばせる。
調査地は上京区下長者町通新町西入ルの府庁北側の中立売署跡。古地図では、容保が京都の治安を守る守護職の就任に伴い、1865年に完成した京都守護職上屋敷の北辺で、藩士が寝泊まりした長屋群があった場所とみられる。
建物跡の柱穴は、3棟分見つかった。宿舎のような長屋風で、重さに耐えられる基礎工事がなされ、2階建てだった古地図の記述と合致する。徳川や松平家の家紋である「三つ葉葵」の軒丸瓦も出土している。
調査地は安土桃山時代にさかのぼると、豊臣秀吉の聚楽第造営に伴い、大名屋敷が建設された地域でもある。発掘では「剣花菱」の金ぱく瓦の一部も出土したが、古地図に記載がなく、どの大名の屋敷跡かは断定できないという。
同センターは「京都守護職の屋敷跡が古地図の記述通りと分かり、長屋が2階建てだったことが実証された意義は大きい。容保はあまり宿泊しなかったようだが、当時の藩士の生活の様子を知る史料ともなりうる」と話している。