城郭探訪

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京都守護職の上屋敷跡発見 三つ葉葵紋の瓦出土///京都新聞

2016年04月27日 | 文化財

画像に含まれている可能性があるもの:食べ物安土桃山時代の大名屋敷を飾ったとみられる金ぱく瓦(左)と幕末の京都守護職上屋敷跡で見つかった三つ葉葵紋の瓦

 幕末に会津藩主・松平容保が務めた京都守護職の上屋敷の遺構が京都市上京区の京都府庁北側の発掘調査で見つかった、と府埋蔵文化財調査研究センターが26日発表した。京都守護職の屋敷遺構は初確認で、長屋の状況が当時の藩士の暮らしをしのばせる。

 自動代替テキストはありません。調査地は上京区下長者町通新町西入ルの府庁北側の中立売署跡。古地図では、容保が京都の治安を守る守護職の就任に伴い、1865年に完成した京都守護職上屋敷の北辺で、藩士が寝泊まりした長屋群があった場所とみられる。

 画像に含まれている可能性があるもの:1人以上、屋外建物跡の柱穴は、3棟分見つかった。宿舎のような長屋風で、重さに耐えられる基礎工事がなされ、2階建てだった古地図の記述と合致する。徳川や松平家の家紋である「三つ葉葵」の軒丸瓦も出土している。

 調査地は安土桃山時代にさかのぼると、豊臣秀吉の聚楽第造営に伴い、大名屋敷が建設された地域でもある。発掘では「剣花菱」の金ぱく瓦の一部も出土したが、古地図に記載がなく、どの大名の屋敷跡かは断定できないという。

 同センターは「京都守護職の屋敷跡が古地図の記述通りと分かり、長屋が2階建てだったことが実証された意義は大きい。容保はあまり宿泊しなかったようだが、当時の藩士の生活の様子を知る史料ともなりうる」と話している。


八尾山(やつおやま)城(八ツ尾山城)    近江国(多賀)

2016年04月27日 | 山城

林道や城道から見た「北側の多賀・彦根・琵琶湖の景色」が綺麗で、比高差を忘れる山城。

主郭の北橋の物見櫓?

お城のデータ

別 称:八ツ尾山城 
所在地:犬上郡多賀町佛ケ後~藤瀬 map:http://yahoo.jp/J9yQEw
現 状:山林

区 分:山城 
築城期:織豊期

築城者:今井氏?
遺構等:曲郭・堀切・腰廓・土塁・物見櫓・塹壕堀(城道)
標 高:616m  比高差368m

目標地:林道の車両進入禁止場所 標高:248m地点
駐車場:林道の車両進入禁止場所に1台可

訪問日:2016.4.26

お城の概要

犬上川が平野部に流れ出す所に川を挟むように勝楽寺と籠城山城があり、勝楽寺城・籠城山城を見下ろすように東に標高616mの八ツ尾山の山頂に八尾山城は残存する。

藤瀬集落からダートの林道を登って行きますが、路肩が微妙に崩落していたりで、やや危険です。 テープで車両通行止めの案内があるところまで登ります。ここに乗用車一台分は置けるスペースはあります。

林道を蛇道のようにくねくね曲がりながら1200m進むとП字のカーブの右上に、塹壕堀(城道)が見える、
主郭は北側に櫓台と思われる一段高くなった部分があり南側にも掘り残したような土塁が見られます。主郭の自然の地形を利用した切岸で。北側を除き腰郭が残る、南と東の尾根に曲郭が。東の尾根は堀切で分断されますが堀切から東に先さらに50m行く堀切が見られます。
主郭北は谷を掘り下げた深い堀切になっておりその北に削平地があります。最後の尾根を左手に進むとややL字に曲がって行き、最初の堀切に到達します。この堀切、小さいながら明瞭です。この堀切を越えてさらに登ると城域の西側に廻り込んでいるようです。「八ツ尾山あと2分」の標識で左手に下りて行くと長大な堀切があります。主郭の西下になる感じです。ここを登ると主郭です。主郭は西側が一段高く櫓台の感じです。東側に細長く平坦地が延びています。東側端に土塁の盛り上げリがあります。この北側には帯郭があります。主郭に戻り、北側尾根に4段の段郭があります。切岸がしっかりした段もあり、北端の郭にはU字に土塁が残ります。その下には、自然地形を利用したのか巨大な堀切があります。北端の郭とは高低差6mくらかな?。この堀切幅も10mくらいはある。また、堀切底部にはさらに堀状の窪みがあり、遺構はよく見ることができる。

お城の歴史

八尾城は、永源寺にもあるが、築城年 :南北朝期 築城者:小倉右京亮実房である。

『嶋記録』には、八尾山城(多賀町)

 今井一門連書之写シ「豊洲城、古ハヤツオ(八尾)又セイラクジ(勝楽寺)ナドにもありしよし申伝候」と掲載あり。

       ()内は、管理人が、解釈を漢字に・・滋賀県中世城郭分布調査5「旧犬上郡・愛知郡の城」49頁

藤瀬集落の【八尾山観音寺】の石碑の遠景が八ツ尾山の頂部が城址です。

石碑を右に、クネクネ曲がる林道を標高248mまでここから徒歩で1200m登る・・・・。 

     

ここまで、駐車位置から林道を1200m位  П字カーブの左側塹壕堀(城道か)が林道から見える。

塹壕堀(城道)を登る            

進むと林道に出た 

再び、左手に塹壕堀(城道)に入る   シダの海(腰まで)を漕いで登った 二重堀  

ここから綺麗な空堀(城道10m程)                          

城道(登山道)の目印テープ発見 

紫のpp紐発見            

  最初の廓に登ると、三角点のコンクリート柱(登城記念に2枚)、ここをまた左手に進む。

  

最初の堀切「     

小さな標識で【八ケ尾山あと2分(高取山まで50分)】書かれた標識が木に括ってあり、矢印方向へ。

  

 

  

主郭手前最大の堀切(自然のの地形を更に削り込んで)

    

  

主郭に到着                      

下山します。

               

  勝楽寺城・籠城山城の遠望 荒神山城は遠くに!

  林道を駐車位置まで約1200m下る。

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査5「旧犬上郡・愛知郡の城」

    本日の訪問ありがとうございす!!