下山城は近隣地域を代表する城で1309年に築かれ1582年に滅んだ城となっています。その間273年間、 数々の戦功と功績を残しております。
公民館駐車場より、攻め込み
堀切
・所在地:甲賀市水口町下山 Map:http://yahoo.jp/ZgKUT7
旧:甲賀郡水口町下山
・目標地点:九品寺・下山公民館(駐車可)
・形式:丘城
・比高:30m
・現況:公園・雑木林
・遺構等:堀・土塁・説明板
・築城期:室町期
・城 主:伴太郎左衛門景秀
・主郭まで:公民館より5分
・訪城日:2014.2.20
下山城 大字下山字市場 小川氏宅の南山にあり土盛高3m内面積 1200㎡
城跡は甲賀によくある単郭方形の館城です。南側に虎口を持ち、東側は堀切で丘陵と遮断しています。郭内はやぶ状態でどうにもなりません。公園の北側に公民館があります。そこの駐車場より城跡に向かって登ってみたのですが、藪状態で城跡には行けませんでしたが、藪の中に城跡から伸びてきているような堀が認められます。
歴史
甲賀郡誌に延慶年間(1308~11)に、櫟野(旧甲賀町)より伴太郎左衛門景秀が移住し築城したと伝承が残る。
この城は伴谷地域をその勢力化においた土豪伴氏の城跡です。伴氏は延慶年間(1308~1310年)に櫟野(いちいの)<=旧甲賀町>から移り住んだと伝えられ、近隣である柏木の山中氏、水口の美濃部氏と拮抗したり協力したりして領地を支配しました。
伴氏は俗に言う甲賀武士であり、戦国末期の甲賀群中惣の一員でありました。
左は東堀切。土塁の上は5mを図る東虎口主郭内土塁より・・・主郭・北虎口 北虎口北虎口(城外から)・・・駐車可2~3台 虎口のそばの物置小屋
大字下山 住家75戸
下山は、神宮領柏木御厨司五郷の一つで、元徳3年(1331)注進目録に出る下山郷です。延長年間伴太郎左衛門氏大原郷より移り治所を下山に置き所領した。慶長5年(1600)長束正家亡後伴上野介資光の所領となり、慶長7年(1602)松平隠岐守、元和9年(1623)年堀田加賀守、寛永4年(1627)二分して徳川家の旗本美濃部文左衛門と水口城代小堀遠江守の管轄となり、山口但馬守、野田三郎左衛門等の城代と代官を経て寛文元年(1661)葦蒲観音寺下に入り、寛文3年(1663)に小堀、前守美濃部氏、石原清左衛門の支配下となり、宝暦3年(1753)小笠原能登守、文化10年(1813)井上河内守、天保7年(1836)多羅尾久左衛門、天保11年 (1840)水野越前守、再度多羅尾氏の支配下となり、弘化4年(1847)松平周防守の支配下となり明治維新となりました。
下山地区の小字 13小字
迎山 柳瀬 市場 引坊 二反田 大沢 広野 細ヶ谷 牛飼塚 細佐 大谷 下ノ前 前田
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、甲賀市誌(甲賀の城)
本日も訪問、ありがとうございました