(超現実派の散歩 1929年 東郷青児)
紅い月
だ
スーパームーン
だ
と
テレビ
では
情熱
を
駆り立てよう
と
するけれど
零れ落ちそうな月
は
時として
ワタシ
には
空
に
ぽっかりと
空いた
穴
に
想えるコト
が
在る
この
際限ある
現実世界
から
飛び出してごらんよ
視界
が
もっと
ひろがるよ
と
その
穴
の
ムコウ
から
赤やら
青やら
白やら
の
目映いセカイ
が
手招きしている
ような
気がするのだ
日中
出向いた
東郷青児展
平日にも
かかわらず
沢山の観衆で
其処は
賑わっていた
戦後の日本
の
復興
への
希望
と
決して
拭えぬ
頽廃感
を
同時
に
纏った
婦人画
よりも
何処か
エキセントリック
だけれど
何処か
ヒトの本質
を
ついている
初期の作品たち
に
ココロ奪われた
直感
で
手にとった
一枚
の
この
ポストカード
も
紐解けば
約90年もの
時を越えて
今日の心象風景
と
ピタリ重なっているから
不思議
だ
手袋も
編み上げブーツも
片方だけ
の
浮遊する
超現実派
それは
ずっと
完成しないパズル
を
願う
頼りなき
挑戦者
の
よう
月
に
願い
を
乞う
より
も
たった
ヒトツ
の
接吻
を
恋う
ような
角度
で
見上げる
青
と
白
の
熱情
の
夜
伸ばす
手
は
届こう
が
届くまい
が
どちらでも
構わず
に