ワタシ
を
「まみちゃん。」
と
親しみを込めて
呼んでくれる
ヒト
が
また
ヒトリ
旅立たれた
八人兄妹
である
母
の
一番上
の
実兄
の
奥さま
「新潟の伯母ちゃん」
一昨年の秋
新潟へ
四半世紀ぶり
に
帰省した際
には
変わらない
笑顔
と
トーン
で
「まみちゃん、遠いのに よく来てくれたね〜」
と
手を取って
再会を
歓び合ったっけ
帰る日には
たくさん
お土産を
持たせてくれて
「また、おいでね」
そう
互いに
潤んだ目で
頷き合いながら
その
変わらない
優しい眼差し
で
幼い頃から
ずっと
見守ってきてくださったコト
に
感謝しても
しきれないほど
だった
朝
の
微睡みの中
従兄から
訃報
を
受け取った時
は
何故か
何処か
静かに
沁み込むように
その
報せ
を
理解するコト
が
できた
先日
大雪の時
に
従兄から
むかし話
を
聴いたトコロ
だったからだ
当時
神奈川県川崎市
に
住んでいた
幼稚園児
だった
ワタシは
たまたま
新潟から
米やら餅やら
を
持って
訪ねて来てくれた
新潟の伯母ちゃん。
が
帰り際に
半分冗談で
云った
「まみちゃん 新潟に 一緒に 行くか?」
そんなコトバを
真に受けて
トコトコ
単身
付いて来たらしい!!
従兄
曰く
自営業
で
なかなか
子どもたちにまで
両親は
手が回らなかっただろうから
末っ子で
甘えん坊だった
ワタシは
きっと
淋しかったんだろう
と
いう
見識だったようだけれど
それプラス
ワタシは
幼いながらにも
新潟の伯母ちゃん。
を
信頼していたし
大好きだった
のだ
新潟では
一緒に
お風呂に入った記憶も
いっぱいある
新潟の伯母ちゃん。
の
おっぱい
が
母とは
違うモノ
な
気がして
なんで
そんなカタチしてるの?
と
真剣に
尋ねたコト
や
湯上がり
に
茹でトウモロコシ
やら
瓶のサイダー
やら
を
たくさん
食べさせてくれたり
ほんとうに
優しくしてもらった記憶
しか
ない
のだ
出来れば
もちろん
もう一度
訪ねて行って
一緒に
お風呂にでも
入りたかったけれど
それは
もう
叶わない
でも
折にふれ
優しい記憶。
は
体温があるかのように
感覚的に
これからも
蘇るだろう
寒い夜
に
淋しい夜
に
ひとり
湯船に浸かる
瞬間
に
ワタシ
も
いつか
あんなふうに
なりたいな
大切なヒト
に
とって
優しい記憶
として
生き続けられる
ヒト
に
伯母ちゃん
ほんとうに
ありがとう
ゆっくり
ゆっくり
休んでね
どうか
どうか
みんな
を
見守っていて
くださいね