『私はとうとう
本当の事をさえ
嘘みたいに
語るようになってしまった。
ささ濁り。
けれども
君を欺かない。
底まで澄んでいなくても
私はきょうも
嘘みたいな
まことの話を
君に語ろう。』
〜太宰治「善蔵を思う」〜
水面
を
眺めている
と
とても
落ち着きます
雨上がり
は
流れが早くなったり
ささ濁りしていたり
少し
ココロ
も
さざめく
けれど
其処
には
生きる源
が
また
蓄えられている
気
が
して
チカラ
を
貰うのです
ヒト
も
たえず
流れ
に
沿っている
そんな
気
が
します
抗えば
吸い込まれそう
に
なり
もがき苦しい
けれど
一度
流れ
に
のれれば
きっと
呑み込まれるコト
も
なく
あたふた
無駄に
労力
を
使わず
に
済みそう
です
水
の
透明度
ばかり
に
気
を
取られていては
育むべきモノ
も
育まれぬ
の
だ
と
太宰治
の
コトバ
を
借りる
ならば
『幸福感というものは
悲哀の川の底に沈んで
幽かに光っている
砂金のようなものではなかろうか。』
〜太宰治「斜陽」〜
と
でも
云うべき
なの
でしょう
さぁ
あと
は
掬う
だけ
そう
あと
は
救う
だけ
自身
を
自身
で