県議選告示まで20日と迫りました。
党と後援会の最後の集会を「れふれ」で開きました。
切れきれの田村節を聞き、元気をもらいました。
定数6に9人の立候補です。
強者揃いの中で、井上ゆうすけの浮上作戦は並大抵のものではありません。
県議選告示まで20日と迫りました。
党と後援会の最後の集会を「れふれ」で開きました。
切れきれの田村節を聞き、元気をもらいました。
定数6に9人の立候補です。
強者揃いの中で、井上ゆうすけの浮上作戦は並大抵のものではありません。
今日は、東日本大震災から12年目を迎えます。
2011年3月11日午後2時46分。
大地震と津波によって2万人を超える方が亡くなられたり行方不明となっています。(関連死も含む)
加えて、福島第一原発事故による放射能汚染が加わったことが特徴です。
私も、7月15日から24日までボランティアに、行ってきました。
前日10時に出発して翌日の午後5時半に宮城県塩釜市に着きました。
ワンボックスカーに玉ねぎ25箱にお米や支援物資を満載して行きました。
走行距離1500キロ。かなりの重量で、思うように高速が走れませんでした。
私の仕事は、「お困りごと相談」です。
現地のスタッフと組をつくり、個別訪問し、困りごとを行政へ繋ぐパイプ役です。
一日だけ、「休日」があり、スタッフの方が被災地を案内していただきました。
南三陸町の中心地は、海岸線にあり商店や住宅は見る形もなく「人の気配を全く感じない」一面のがれきが続いている様に絶句しました。
中でも、自らの命を顧みず最後まで住民避難を呼び掛けた「防災センター」では、3階建ての鉄骨だけが残るがれきの前に、多くの花束や線香がたむけられていました。
参加者は、黙って手を合わせることだけしかできませんでした。
南三陸町立志津川病院は、4階まで津波が押し寄せ入院患者107人中72人の死亡・行方不明者が亡くなりました。
この病院は、海岸から100メーターほどしか離れていません。
帰りは「飯舘村に行こう」ということで片道2時間かけて行ってきました。
福島第一原発から50キロ離れていますが、「全村避難」で、人に会うことはありませんでした。
今日は、「東日本大震災を忘れない」「原発事故を忘れない」と「11行動日」です。
12時から大手口交差点でアピール行動をしています。
関心が在られる方は、参加しませんか。