日本の核兵器廃絶の中心的存在であった谷口稜曄(たにぐち・すみてる)さんが88歳で亡くなったと今朝の新聞で読みました。 谷口さんのご冥福を心からお祈りします。
谷口さんを知ったのは、長崎原爆で被爆で、真っ赤に焼けただれた背中の写真です。その方が生存し、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の代表委員の谷口稜曄さんとは後日知ることになりました。
谷口さんは、16歳の時、郵便配達中に爆心地から約1・8キロ地点で被爆し、背中に大やけどを負ったのです。治療のためうつぶせのまま過ごしていた時に米国戦略爆撃調査団が撮影した赤い背中の少年の写真を撮ったものです。まさか、このような姿の人間が生存できるとは思っていませんでした。
谷口さんは、自らの被爆体験から被爆者援護運動に参加され、中心的な役割を果たされました。講話では、常に自身の赤い背中の写真を掲げ、核兵器の非人道性を訴え続けました。
その運動が実り、国連での「核兵器廃絶条約」が成立しました。これからは、新たな核兵器廃絶への困難な道を進むことになります。
昨日は、日本共産党国会議員の真島省三、田村貴昭、仁比そうへい、藤野保史の4人と秘書や福岡、長崎、佐賀から地方議員が21人が玄海原発を視察しました。
国会議員が4人と3県の地方議員が揃って玄海原発を視察するのは初めての事です。
約3時間の行程で施設内を見せてもらいました。