vG7広島サミットが閉幕しました。
あれだけ、マスコミを騒がせながら、核軍縮に関する「広島ビジョン」については、核兵器禁止条約への言及がなかったことに失望します。
「核兵器があるから平和なんだ」という「核抑止力」が前面に出た会議ではなかったでしょうか。 広島で会議をしたのは、「平和へのパフォーマンス」だったのでしょうか。
vG7広島サミットが閉幕しました。
あれだけ、マスコミを騒がせながら、核軍縮に関する「広島ビジョン」については、核兵器禁止条約への言及がなかったことに失望します。
「核兵器があるから平和なんだ」という「核抑止力」が前面に出た会議ではなかったでしょうか。 広島で会議をしたのは、「平和へのパフォーマンス」だったのでしょうか。
イタチの捕獲に失敗しました。
わが家には天井裏を走り回るイタチがいます。
ホームセンターで「捕獲器」を購入し、唐揚げをエサに設置しました。
早速、イタチが捕獲器に入ったのですが、必死の様相で脱出。
その時の「イタチの最後っ屁」で家中臭いが充満。
イタチもこれに懲りて「家出」してくれればと思っています。
昨日は、井上ゆうすけ前県議と黒木はじめ市議の3人で、岸田自公政権が強行する「戦争の準備より、国民の暮らし応援の政治への転換を」と訴えました。
戦争の道具を買うのに、医療費や年金の積立金を流用したり、東日本大震災復興所得税の半分を流用するなど5年間で43兆円を使おうというものです。
物価が上がり、それに見合った賃金や年金にはなっていません。
政治は、「富の再配分」といわれて、困った人を助けるのが仕事です。
私はそんな、まともな政治の実現を一緒につくりましょうと訴えました。
テレビや新聞は、「広島G7サミット」一色です。
「核兵器廃絶」の願いは、全世界の願いです。
岸田首相は、「アメリカの核の傘の下」にしがみついています。
その理由が「戦争になったらどうするんだ」という考えです。
戦争を絶対に起こさない、そのための外交にありとあらゆる知恵と力をつくすのが政治の責任ではないでしょうか。
戦争の準備より平和の準備を願います。
済生会病院から「人間ドック」の検査結果が届きました。
内容は、生活習慣による「肝機能」「血圧高め」「肥満」などと指摘されましたが、どれも「軽度」で「要観察」ということでした。
心配する所見はありませんでしたが、運動と食事療養を求められています。
皆さんも、健康診断を毎年受けましょう。
v昨日は、薬局に行きました。
窓口に「マイナンバーカードをかざしてください」との機械が設置されていました。
「利用はどうですか」と聞くと「ほとんど無い」とのことでした。
「国の補助金があるうちに」と思いで設置しましたとのことです。
政府は、「保険証」を無くそうとしています。
皆さんはマイナンバーカードに「更新」があることをご存じでしょうか。
マイナンバーカードの有効期間は、発行日から「10回目の誕生日」(未成年者は5回目)まで、
電子証明書の有効期間は、年齢問わず発行日から「5回目の誕生日」までに設定されています。
車の免許証のように「更新」は、自分でしなくてはなりません。
更新しないと「無効」(保険証に失効)となります。
今の「保険証」は、資格がある方には、役所から毎年自宅に届けられます。
あなたは、どちらを選択しますか。
今朝の地元新聞は、「佐賀バルーナ」がB1昇格を決めたことを一面大見出しで伝えています。
私も、にわか応援団ですが、佐賀から全国一流のチームが誕生したのは嬉しい事です。
チーム名の由来は、「佐賀市が世界に誇る“佐賀インターナショナルバルーンフェスタ”のバルーンのように、佐賀の人々の“夢”を乗せて、大空高く舞い上がり、“夢”である“B1昇格”を掴み取りたい」という思いが込められている荘です。
その夢を実現できました。
「サガン鳥栖」がJ1に昇格したときのような感動が伝わってきます。
私たちに「夢」を乗せて大空高く舞い上がってくれることを期待します。
写真は、わが家の晩餐。
昨日は、「母の日」ということで、家庭孝行をしようと、「パークゴルフ」をするために佐世保の烏帽子岳まで行ってきました。
烏帽子岳は、唐津から約1時間20分。海抜約2000㍍ほどです。
その頂上に、市営の「えぼしスポーツの里」という、子どもから大人まで楽しめる施設があります。
特に、子どもの乗り物やアスレティック、ローラースケートなど、子どもたちの好奇心を刺激する遊具がたくさん揃っていて、子ども達は懸命に遊んでいました。
パークゴルフ場は良く整備されていました。
お昼に着いたので、レストランで食事をした後、2コースを2回ゲームしました。
帰宅したら、下の息子夫婦から「母の日」のバラが追加と「サクランボ」が届いていました。
今日は、「朝の挨拶」からスタートします。
2人の子どもからカーネーションが届きました。
今日、5月14日(第2日曜)は「母の日」です。
皆さんは、戦前は「3月6日」が「母の日」だったことをご存じでしょうか。
大日本連合婦人会が1931年(昭和6年)に結成され、その際、皇后(香淳皇后)の誕生日である「3月6日」を「母の日」と制定したそうですが普及しなかったとのことです。
戦後、アメリカに倣って5月の第2日曜日に行われるようになったと云われています。
母親が健在の場合は赤いカーネーションを贈り、母親が鬼籍に入っている場合は白いカーネーションを贈ることが一般的だそうです。
ちなみに、「父の日」は6月第3日曜日ですが、「母の日」のようには賑わいません。
父親として、寂しいか限りです。
今年の「父の日」には、何か良いことを願うばかりです。
写真は、送られた花と私の晩餐です。