第1016話.イエスとエッセネ派に関する小話② 退行睡眠対象者の過去世スディー

2024-08-26 01:02:21 | ★カジュアルスピリチャリズム(カジスピ),多分あっていると思われる事,人生観
湖畔人です。

前々話の続きで、エッセネ派に関する書籍の感想二回目です。

退行睡眠で得られる情報は、その対象者の方の過去世の人物の認識範囲、その方の周辺の出来事に関する情報しか得られないので、たいがいはごく平凡な静かな生涯の記憶ばかりで、あまり有名人に出くわすことはないようなのです。

でもラッキーがあってドロレスはイエスが生まれる寸前にイエスが関わったエッセネ派、クムラン教団という集団に属する人物、しかもイエス本人に一部の教育を施す立場にあったスディーと呼ばれる人物の過去世を持つアメリカ人の女性ケイティと知りあい、そのスディーを通してイエス=救世主の誕生に備えるエッセネ派の人々の様子や当時の考えを知らんとした訳です。

このスディーの生まれ変わりのアメリカ人の女性ケイティは、高校中退で、米軍でPC関連の技師として働き、ドロレスと退行睡眠をしていた時期は一般企業に転職をしており、霊的な事にも興味があるとして、そうした人達が集まるイベントでドロレスと知り合い、縁が出来、退行睡眠をしてもらった所、色々と過去世を辿っていくと、どうもイエスが生まれた時代の過去世を持つ人物が出てきた、と言う事で、色々と探っていくと、まさかのイエスにかなり近い人物である事が判明した、と言う訳です。

このクムラン教団、エッセネ派は隔離された場所で、集団で生活をしていて、そこで精神修行をしたり、聖典の翻訳や編集をする一派で、主流のユダヤ教徒達からも、ローマ軍からも救世主の予言をする特殊な存在、ある意味、危険な存在と見なされていたらしく、その存在を突き止められ、迫害される事がないよう、人里離れた場所にひっそりと存在し、高度な霊的研鑽をする、ある意味宗教エリート的存在だったようです。

なので、スディーは、常に警戒心が強く、不用意にイエスの名前を口にしたりする様な事は一切しないし、とても神経質で、慎重で、律儀で、正義感が強く、非常に硬い人物と言う印象の方です。

また、自分で見た事、聞いた事でなければ"自分はそこにいた訳でないのだから、そんな事分かるはずはない"と言い切れる、知的に正直な人物でした。

当時のユダヤ社会では女性蔑視、女性差別が当たり前だったようですが、クムランでは女性も平等に扱われており、彼女たちも、真理探究の権利を有しており、中には有能な女性の求道者もいたようです。聖書の記録にはないですが、イエスの使徒にも本当は多くの女性使徒がいたようですが、そうした理由もクムランのリベラルなカルチャーがベースとしてあったようです。

結婚は、長老が、星を見て占い、その星の愛称で決まるらしく、でも、実際に結婚して二人の相性が合わないと判明した場合、長老に相談をして、離婚、別の人との再婚と言うケースもあったようです。

イエスが生まれる家系や母親も、お告げや星占いで決まっていたらしく、まだ16歳だったマリヤと、年配の大工のヨセフが夫婦として選抜され、二人の間にイエスが誕生します。スディー曰く、マリアとヨセフは過去世で何度も夫婦をしていた事があったようです。

二人の間には多くの子が生まれイエスには6人の弟と3人の妹がいたそうです。10人兄妹だったようで、イエスはその長男だった、と言う事になります。大家族ですね。

イエスの家系はダビデの血筋との事。そして彼の従兄弟がバプテスマのヨハネとなります。ほぼ同時期に生まれ、二人とも赤毛だったようです。特にヨハネは真っ赤っかだったよう。当時のナザレの人々は肌が白く、髪は赤か金色が多かったそうで、時代と共に南部の肌の黒い人々との混血が進んだとの事ですが、イエスの時代にはまだ色白の赤毛が多かったようです。となると、アシュケナジユダヤは白人だからユダヤ人ではない、的な議論の根底が崩れて来ますね。

赤毛で青目で長身が当時のフェニキア人の特徴だったようですが、当時のナザレの人々にもその特徴があったようです。イエスの母マリアの叔父にあたり、イエスを世界中に旅をさせた金属商で稼いだ大資産家のアリマタヤのヨセフの行動はまさしくフェニキア人のそれそのものです。

ドロレス曰く、フェニキア人はアトランティス人の末裔との事。

さて、話はお堅いスディーに戻りますが、彼の真っすぐで正直な性格から、彼の意見は信頼に足るな、という印象なのですが、

そんな正直な彼が、
これまで全く聞いた事が無い出エジプト記の解釈や、
UFOやアトランティス他について色々と語るのです。
ですから、面白くない訳がないのです。
また、続きは後日します。

あ、因みに本に記載はないのですが、ドロレスのYoutube動画で聴いた話だと、ケイティの直前世は原爆が落とされた時代に広島に男性として生まれていたそうです。

日本の次がアメリカで高校中退の女性です。その方が一教科だけとは言え、一応、イエスの先生だったのです。これらの転生を通して、一体どういう学びが期待されたのか、よく分かりませんが、不思議な組み合わせもありますね。因みにスディーの語った内容をケイティに伝えても余り喜ばれず、むしろ困惑していたようです。ますますこの方の転生の課題が良く分からない感じですね…。きっと我々には見えていない何かがきっとあるのでしょうね。

では。

湖畔人


第1014話.イエスとエッセネ派に関する小話① ざっくりした所感

2024-08-18 17:22:42 | ★カジュアルスピリチャリズム(カジスピ),多分あっていると思われる事,人生観
湖畔人です。

以前から時々指摘して来たエッセネ派に関する書籍の感想?、それを書こうと思うのですが、論点が多すぎて、このテーマだけで100話位行けそうです。
なにせ700ページ近い大著ですからね。

内容もテンコ盛りで多岐にわたり、何から書いてよいやら途方に暮れる感じですが、この書物は退行催眠で過去世や宇宙との繋がりを解明しようとしたドロレスキャノンと言うアメリカ人の退行催眠療法士が、たまたま巡り会ったアメリカ人の若い女性に退行睡眠を施したところ、その過去世に、イエスの時代にイエスの近くにいた過去世を持つ人物が現れ、その方との会話と通じて、当時の様子、彼らの生活様式や、彼らの思想、彼らの願いや苦しみ、そしてイエスについて記したものです。

ある意味凄い偶然の産物です。こんな歴史的有名人の周辺に生まれた過去世を持つ人物に当たる事は稀なようですからね。

で、ハッキリと言えることは、
①イエスは実在したと言う事。
②ただ生まれた時期もその生涯の主旨も多分我々が聞いているものとは少し違うと言う事。
③また、古代からの叡智を守り、イエスを世に出す使命をもっていたエッセネ派、クムラン教団というグループがいて、イエスの誕生を見守り、彼の悲しき運命を予め知りつつも、彼を育て、見守り、世に出し、知ってはいても悲しい思いで彼の死を見守り、その後弾圧され、一部は囚われ、殺され、その一部は欧州に散って行ったと言う事です。
④そしてそのエッセネ派の方々の認識力や考えは、全く古くなくて(逆に言うと我々が進歩していないのかも)、現代においても最先端として扱われる可能性が高い位、現代的で先進的です。彼らは輪廻を含め人類がこの世に生を受ける意味を深く知っていた方々であったようです。

今後、何回か何十回か何百回かは分かりませんが、本件に関する所感を、その都度、気になったテーマに絞って、小話として出してゆきたいと思います。

では。

湖畔人

第995話.お薦めの思考法② 神と、期待される生き方と、あの世の存在の確率は50%=そもそも論(改)

2024-04-21 15:17:46 | ★カジュアルスピリチャリズム(カジスピ),多分あっていると思われる事,人生観
湖畔人です。

前回は、神と、期待される生き方と、あの世の存在の確率は50%、ない場合は考えても仕方がないけど、ある場合は地獄に行くかもしれないから、そもそもあるべき生き方って何か知っておいた方がいいよね、と言う話をしました。

今回は、その続きをしたいとおもいます。

まぁ宗教も多いし色んな考えがあると思うけど、やはり、普遍性があるもの、誰にとっても公平で納得感がある世界観を選択する事が大事だと思うのです。
ある民族だけは神のお眼鏡に叶うが他の民族は神の敵とか、そんな偏った考えではなくて、男女を問わず、国を問わず、民族や時代を問わず、誰にとっても公平で納得感のある宗教観を持つ事が大事ですよね。

その点からすると、つい最近まで活躍された日本の宗教家も言われていましたが、全ての人類は神の分け身魂で、一部であり、神の子達であり、転生輪廻の中、この世に何度も生まれては、様々な経験を積み重ね、その経験を通して人間の器を広げ、より神近き存在へと進化して行く事が期待されているの存在が、我々人類である、と言う見方が大分普選性があるように見えます。

一方で、その転生の修業過程の中で、他人を傷つけたり、多くの間違いを犯しがちなのも我々であり、そうした過ちを犯したならば、それらは負のカルマとして残る為、それら負のカルマを解消する作業が必要となり、その解消作業を、転生の中、この世において、逆の立場を経験する事で解消を試みたり、あの世において(特に地獄において)そうした解消作業を実施しているのが、我々と言う存在、とも言えるようです。

そうした間違いも犯しがちな存在でもある我々ですが、一方で、経験により人間の幅が段々と広がり、より他人を許しやすくなったり、より他人を受け入れられる広い器になって行く事も可能な存在が我々であり、長い意味で見れば、実は、段々と神に近づく過程にあるのが、我々と言う存在である、そう言えるかと思います。

そうした世界観、宗教観が、比較的誰にでもフェアな物の見方、と言えるのではないか?と思うのです。

どうも我々と言う存在は、神の皮膚の上に生えたうぶ毛の一つ一つのような、とっても小さな部分的存在のようですが、そんな小さな存在であっても、様々な環境に生まれては、悩み、苦しみ、葛藤をしながら最適解を求めて思考錯誤を繰り返し、改善を試し、と頑張って来た結果が、我々人類の歴史なんだろうと思います。

そして、どうも我々の本来の住処は霊的な世界、あの世、天国こそが我々の本来の住処、居場所の様です。ただ、その霊的世界は波長導通の法則が貫かれている世界のようで、自分と似た考えの、同レベルの人達ばかり集まった大変居心地が良い世界の様なのですが、でも似た者同士ばかり集まっているので、幅が広がっていかない、成長が無い世界でもあるようなのです。なので、より人間の幅を広げ、より神近き存在に進化するためには、自分と全く違うタイプに出会えるこの世に生まれて来ては、違うタイプの人達と触れ合いの中で、葛藤をし、もがき、そして自身に新しい側面を付加する事が期待されている様なのです。それがこの世に生まれて来る意味、この世の存在意義、生まれ変わりの意義のようなのです。

また同時に、修業の場として存在するこの世がおかしな事にならぬよう、この世をよりよくメンテするためにも、我々は何度もこの世に生まれて来ているようです。

なので、この世を客観的に眺めて見たならば、全員神の子は神の子なんだけど、それを自覚してそれに相応しく生きようとしてるわずかな人々と、その事実に全く気付かずに、その事実にそぐわない生き方をしている大多数の人達が共存している世界、それがこの世界の真相と言えるかと思います。

で、全員、その内に神の性質を宿している神の一部ともいえる尊い存在なので、無碍に扱ってよい人間など一人もおらず、相手を傷つけたなら、その傷つけた側には反省が要求される訳です。それを転生の中、カルマとして解消する事が期待されている訳です。相手も神、神性、神と繋がった部分を内に宿しますから、他人を傷つけたなら、それに対し、詫びを入れないといけない訳です。おとしまえを付ける必要がある、と言う訳です。それがカルマの解消の意味のようなのです。その解消は、地獄でやってみたり、次の転生で逆の立場に立ち、同じ目にあう事で解消したりとか、まぁ色んな形でのカルマの解消の仕方があるようです。

なので言いたいことは、自分が他人になした事は必ず後で自分に降りかかってくるので、余り他人に対し極端な悪さはしない事です。で、間違って傷つけた場合には、できれば面と向かって、それが無理でも心の中では必ず詫びる事です。これは必ず相手に通じるようですし、カルマの解消の最適な方法のようなのです。なので、すぐに詫びる事、それが大事な対応法です。

逆に他人にナイスな事をすれば、そのナイスさが徳として、幸運として、人気として、必ず本人に返って来る事になる、と言えるかと思います。なので他人にはナイスにしまくるべきですね。

あと、本来我々は、霊的な存在なので、あまり肉体付随の快楽に引っ張られ過ぎないようにする事が大事です。人生に多少の潤いは要るけど、でも、快楽に依存し過ぎないようにしないといけません。引っ張られ過ぎないようにしない行けないのです。そこが間違いの元ですからね。そもそも精神面の強化がこの世に生まれて来る意味なので、欲望に振り回されると、この世に生まれて来る主旨にそもそも反する状況なのです。だから、快楽依存は御法度です。そこは外せないポイントなのです。欲望をコントロールする事が大事なのです。

なので、やさしさ、勇気、説得力、友達力などコミュ力、集中力、耐性=我慢強さ、神への信仰、相手の内の神性や仏性を信じる力、他、色々あるけど、そうした精神性の強化が大事です。

後は、清潔感とか、笑顔とか、褒める力とか、体力、知力、知識、そうしたテクニカルな部分も意外と重要なのです。

来世に向けて使える神の手足になれるよう、いろんな面を強化したいですね。

でも、まずは自分が神の一部、神の子である、と信じる事です。それが分かればもう貴殿は全てを既に持っており、既に満たされおり、既に幸福なはずなのです。

そして、周りの全ての人達も、皆、神の一部であり、彼らも例外なく神の子達なのです。それを信じ、彼らを心で祝福し、心で励ます事です。

もし仮に、自分が神の子として、それにそぐわない様な状況下に置かれていたとして、その場合は、多分、自身にそれを呼び込むような、まずい点があるはずです。そうした問題点が自身に無かったか、客観的に自己点検をし、あれば、それを見直して改善を繰り返して行く事です。それは、見た目かもしれないし(清潔感)、過去の言動かも知れないし、自己保身的な言い訳かも知れないし、色々あるでしょうけど、それがなんであれ、冷静に自己を客観視して、自分を神の子として相応しい感じの良い人に仕立て上げて行く事が大事なのです。そうした改善を繰り返し、重ねて行けば、必ず、神の子に相応しい状況が自身の周りに出現して来るはずです。

滑稽で、間抜けで、恥ずかしい、失敗だらけの人生が普通の人の人生です。でもそれこそが普通の神の子の人生なのです。決して、悪びれず、偉そうにもせず、卑下もせず、明るく謙虚に朗らかに生きて行く事が大事ですね。

では。

湖畔人

(2024.4.24改訂)



第994話.お薦めの思考法① 神と、期待される生き方と、あの世の存在の確率は50%=あると考えよ

2024-04-21 15:12:48 | ★カジュアルスピリチャリズム(カジスピ),多分あっていると思われる事,人生観
湖畔人です。

今日は哲学と言うか、生き方やこの世の見方について少し。

神がいるかいないか、その確率は半分、50%ですね。確率として半分、なのです。

神がいる場合、神が人間に期待される生き方があるのが普通だし、また、神がいる場合、霊的な世界、あの世が同時に存在する、と考えるのが普通であり、また、あの世がある場合、あの世の行先は、生前の生き方の評価として天国や地獄に行く事になる、と言う意見が多いのも事実です。

では、神やあるべき生き方や死後世界がない場合はどうなるか?
ない場合は、どうせ死ねば何もなくなり、考える事すら出来ないので、その場合の死後の心配は不要ですね。

では、神やあるべき生き方や死後世界がある場合はどうなるか?
ある場合は、貴殿が生きたその生きた行動や思考の歴史が神の評価基準に沿って評価され、多くの方にその恥ずかしい生き様や思考の歴史を映画館の様に観られ、振り返られる事になるようです。そして、”こんな生き方や考え方じゃ、もう、ここに行くしかないよね?”と言う事で恥ずかしい思いをしながら、その生き様に沿った場所に帰る事になるようです。

天国的な立派な生き方をされた方々は、あまり心配はいりませんね。

問題なのは、恥ずかしい思考や行動で多くの方々に迷惑を掛け、地獄に行きそうな生き方をしてしまった場合です。

現代社会では多くの方が地獄に行く事になるようですね。でも、地獄とは言っても、あくまで、反省や問題点の修正の場なのであって、キリスト教世界で言われるような永遠の行先では、どうもなさそうです。なので、反省さえすれば、良いのであって、もし仮にそうした地獄的な場所に行くことになったとしても、これは自身の問題点の修正や自分が危害を加えた方への詫びの為の場や期間なのであって、迷惑をかけた相手には心から詫び許されれば、どうも元居た天国に行く事になりそうです。なので、永遠に出れない場所として考え悲観する必要はありません。

自分も煩悩の塊のような生活が長かったので、ちょっと下に行くかもしれませんが、少なくとも、自身が死後置かれる状況は自業自得の結果であり、問題があるからそうした暗い世界に行くのであって、問題点は何だったかしっかり考え、迷惑を掛けた相手にはしっかり心から詫び、わだかまりを取る事が大事であると言う自覚はあり、もし下に行った際には、しっかりと反省をしたいと思っています。

今回はここまで。

次号では、神の期待されるあるべき生き方とは何か?そもそもこの世に生まれてくる理由とは何か?次の号で考えてみたいと思います。

では。

湖畔人

第982話.近況報告 2024年2月4日 25年? 32年?

2024-02-04 12:02:16 | ★カジュアルスピリチャリズム(カジスピ),多分あっていると思われる事,人生観
湖畔人です。

さて、超忙しい激動の数週間のど真ん中、ブログを書いている暇が無い本日ですが、週一更新、頑張ります。今回は超短縮。

今日は予言について。

25年の夏に大きなダメージが地球、特に日本や東南アジアにあると色んな人が言っていますね。漫画家で3.11当てた人とか、奇跡のリンゴのお父さんとかね。彗星の接近とか、色々言われています。

また、その奇跡のリンゴのお父さんは、無農薬でリンゴの栽培に成功した稀有なる人ですが、彼は、学生時代、龍を目撃したり、宇宙人にアブダクションされ、同じ宇宙船にアブダクトされていた白人の女性と後日互いの存在を確認しあえた、という人物です。彼は、神の如きソクラテス的風貌の方から地球に残された時間を告げられたようです。

それがどうも32年らしい。後10年もありません。

多分、人間が霊的存在で、人類が皆、神の枝分かれ、神性を宿した神の子で,
この世界も神の一部、ゆえに、人も自然も大切にしないといけないという思想が広まらないと、ちょっと厳しいのかもしれません。

その意味でSDGsは別に全否定するものではないのです。環境も人も大切にするのは結構。

ただ、温暖化の理由をCO2に求める嘘も、
与えられたものを否定するLGBTQも、
5月のパンデミック条約で、ワクチン強要や、ワクチンパスポート所持の強要や、ワクチンパスポートによるデジタルな人類管理を目指す、国連やその手下のWHOが目指す、人の神性の発現を妨げる共産主義的思想の拡大は、NGなのです。

ウクライナやイスラエルや今後多分極東で武器を売って儲ける事ばかり考える偽善の英米バックにいる金融資本家達に踊らされる今のG7もNGなのです。

神を信じ、人を信じ、神も人も地球も大切にするのです。
それが唯一の救いへの道ではないでしょうか?

では。

湖畔人