湖畔人です。
前話では、そろそろ北の非核化にまた注視が要ると指摘しましたが、そうは言っても我々一般人が出来る事には限りがありますので、出来る事と言えば、北の非核化に向けて声を上げる事位ですね。日本政府に対し、決して北の非核化に関し妥協をすべきで無い事、韓国は北との対話や融和政策を優先する余りに、非核化に対し妥協をしたり、先延ばしをしてしまう懸念がある為、もしそうした迷いや妥協が韓国政府の態度に見受けられるような場合には、“非核化の先延ばしや、妥協は決して許さない!”と、厳しい態度で臨むべき、と、指摘をし続けるべきですね。それをネットでもどこでもやり続けて行くべきです。我々一般人に出来る事と言えばせいぜいその位ではありますが、丁寧にやって行くしかありません。
北の緊張が高まろうが何をしようが、我々のすべきは、我々がこの世に生を受けた理由であるところの、心の鍛錬、転生を通じて霊性を高め、より神近き存在となる事。より愛深き、より多くの人々を受け入れ、肯定出来る器となる事なんだと思うのです。それを丁寧にやって行くしかありませんよね。簡単に言えば、課題の抱えている人間関係の改善、問題の解消が、我々の抱えている大きな課題の一つだと思うのです。第83話でも指摘しましたが、人の縁と言うものはとても狭い中にあるように見えます。自分が今出会っている人達は多分皆とても縁が深い人達で、その会っている人達の中で、もし葛藤がある方が現れたなら、その人との和解や理解こそが、今世の我々が生まれて来た理由の一つなんだと思うのです。ですから、もしそうした心の葛藤を抱えるような対象に出会ったならば、『おお、来たな、我が課題よ、我が成長の糧よ、我が心を成長へと導く貴人よ。ヨウコソ我が人生に!』と思うべきなのかもしれませんよね。
最近、私の尊崇するところの宗教指導者の率いる機関の発行する小冊子に、数十年に及ぶ家族内の葛藤を宗教的真理との出会いや、宗教的研修を通して葛藤を克服して行った経験談が載っていました。そこでは、23歳で嫁ぎ、それから約40年以上に渡って同居してきた姑と葛藤の記録が描かれており、その後如何に宗教と出会いを果たし、その宗教的な開眼によって、如何にその葛藤を乗り越えて行ったのか、その間の過程が描かれておりました。その方は、嫁に来て、子を持つと言う新しいストレスフルな環境下の中、姑は鬱となってしまい、その姑からは冷たい態度を取られ続け、それから数十年間に渡り、姑は理解できぬ人と心に蓋をし、課題を棚上げにし、時ばかりが過ぎ行く中、旦那の事業まで行き詰まり始め、心身共に疲労困憊する中で、宗教的教えに触れ、嫁いでから26年目の2003年に、宗教施設での研修を受けた所、その研修の中で、姑と生まれる前に、あの世において、お互いが嫁、姑の関係になる事を約束をして来たビジョンを見てしまい、それを通して、実は、本人が姑ととても深い縁があり、転生の中、共に影響し合い成長し合って来た魂グループの一員であって、愛しき成長のパートナーであり、ソウルメートのような存在である事を知り、これまで無意識に姑に冷たく当たってきた数々の過去の場面を思い出しては、それらを反省し、その日以来、毎朝毎晩の祈りの中で姑に感謝をする事を習慣付けた所、翌日から姑の態度に変化が出始め、日々の生活の中で段々とお互いへの感謝を口に出せるようにまで変化し、いつの間にか姑の鬱もなくなり、今となっては実の親子のように心を開き合い、愛し、信じ合える関係にまでなった、と言うお話が載っておりました。
さっそく私も試そうと思いまして、私の職場にもウマが合わない同僚はいますので、その方をターゲットにして、同じ感謝業を始めて見ました。今の所、大分良い感触でして、随分心を開いて貰っている印象です。今後も、決して三日坊主にはせず、継続的に感謝瞑想を継続して行きたいと思っています。そして心から繋がってみたい、課題を克服して、心から認め合い、信じ合えるようになってみたいな、と、そう願っています。今後が楽しみです。
湖畔人
前話では、そろそろ北の非核化にまた注視が要ると指摘しましたが、そうは言っても我々一般人が出来る事には限りがありますので、出来る事と言えば、北の非核化に向けて声を上げる事位ですね。日本政府に対し、決して北の非核化に関し妥協をすべきで無い事、韓国は北との対話や融和政策を優先する余りに、非核化に対し妥協をしたり、先延ばしをしてしまう懸念がある為、もしそうした迷いや妥協が韓国政府の態度に見受けられるような場合には、“非核化の先延ばしや、妥協は決して許さない!”と、厳しい態度で臨むべき、と、指摘をし続けるべきですね。それをネットでもどこでもやり続けて行くべきです。我々一般人に出来る事と言えばせいぜいその位ではありますが、丁寧にやって行くしかありません。
北の緊張が高まろうが何をしようが、我々のすべきは、我々がこの世に生を受けた理由であるところの、心の鍛錬、転生を通じて霊性を高め、より神近き存在となる事。より愛深き、より多くの人々を受け入れ、肯定出来る器となる事なんだと思うのです。それを丁寧にやって行くしかありませんよね。簡単に言えば、課題の抱えている人間関係の改善、問題の解消が、我々の抱えている大きな課題の一つだと思うのです。第83話でも指摘しましたが、人の縁と言うものはとても狭い中にあるように見えます。自分が今出会っている人達は多分皆とても縁が深い人達で、その会っている人達の中で、もし葛藤がある方が現れたなら、その人との和解や理解こそが、今世の我々が生まれて来た理由の一つなんだと思うのです。ですから、もしそうした心の葛藤を抱えるような対象に出会ったならば、『おお、来たな、我が課題よ、我が成長の糧よ、我が心を成長へと導く貴人よ。ヨウコソ我が人生に!』と思うべきなのかもしれませんよね。
最近、私の尊崇するところの宗教指導者の率いる機関の発行する小冊子に、数十年に及ぶ家族内の葛藤を宗教的真理との出会いや、宗教的研修を通して葛藤を克服して行った経験談が載っていました。そこでは、23歳で嫁ぎ、それから約40年以上に渡って同居してきた姑と葛藤の記録が描かれており、その後如何に宗教と出会いを果たし、その宗教的な開眼によって、如何にその葛藤を乗り越えて行ったのか、その間の過程が描かれておりました。その方は、嫁に来て、子を持つと言う新しいストレスフルな環境下の中、姑は鬱となってしまい、その姑からは冷たい態度を取られ続け、それから数十年間に渡り、姑は理解できぬ人と心に蓋をし、課題を棚上げにし、時ばかりが過ぎ行く中、旦那の事業まで行き詰まり始め、心身共に疲労困憊する中で、宗教的教えに触れ、嫁いでから26年目の2003年に、宗教施設での研修を受けた所、その研修の中で、姑と生まれる前に、あの世において、お互いが嫁、姑の関係になる事を約束をして来たビジョンを見てしまい、それを通して、実は、本人が姑ととても深い縁があり、転生の中、共に影響し合い成長し合って来た魂グループの一員であって、愛しき成長のパートナーであり、ソウルメートのような存在である事を知り、これまで無意識に姑に冷たく当たってきた数々の過去の場面を思い出しては、それらを反省し、その日以来、毎朝毎晩の祈りの中で姑に感謝をする事を習慣付けた所、翌日から姑の態度に変化が出始め、日々の生活の中で段々とお互いへの感謝を口に出せるようにまで変化し、いつの間にか姑の鬱もなくなり、今となっては実の親子のように心を開き合い、愛し、信じ合える関係にまでなった、と言うお話が載っておりました。
さっそく私も試そうと思いまして、私の職場にもウマが合わない同僚はいますので、その方をターゲットにして、同じ感謝業を始めて見ました。今の所、大分良い感触でして、随分心を開いて貰っている印象です。今後も、決して三日坊主にはせず、継続的に感謝瞑想を継続して行きたいと思っています。そして心から繋がってみたい、課題を克服して、心から認め合い、信じ合えるようになってみたいな、と、そう願っています。今後が楽しみです。
湖畔人