第118話. 川平兄弟の愛国ブレークスルー

2018-06-24 14:20:23 | 日本人論
湖畔人です。

今晩はセネガル戦もあり、サッカーワールドカップで日本中盛上っておりますが、オリンピックと並んで、サッカーのワールドカップ程愛国心が刺激されるイベントは無いのかなーと思うのです。“ニッポン!、ニッポン!”、“ニッポン頑張れ!”と日本中で声を上げて応援しているかと思いますが、でもこうした日の丸振ってニッポン愛を若者があからさまに言ったり表現したり出来るようになったのは、つい最近の事のような気が致します。90年代後半か2000年代初め頃の事でしょうかね。
きっかけはやはり、川平慈英とジョンカビラの川平兄弟がニュースのサッカーコーナーやサッカー番組やラジオ等で、ガンガンに『頑張れ!ニッポン!』とか『行け!ニッポン!』とか、『ニッポンが勝ってもいいですか?イインデス!』とか、あのアメリカンな顔で、ガンガンに日本愛を真っすぐ表現してくれたことで、日本の若者にあった日本愛を直接的に表現する事への罪悪感とか、後ろめたさとか、ためらいが少しずつ消えて行ったように思うのです。それまでは、自虐史観で育っていますから、日本頑張れとか、日の丸を振るとか、君が代を歌うとか、そう言うのは、古臭く、前時代的で、戦時中のようで、戦争を肯定しているようで、右翼みたいで気持ち悪い、的な見方が多かったように思います。あからさまに日本を応援すると罪のような、悪い事でもしているかのような、そんな気分にさせられた物です。戦後の自虐史観教育の洗脳の賜物ですね。でも、この沖縄出身のアメリカンな顔をした火の玉兄弟の二人のお蔭で、何だ、ニッポン、ニッポンて日本を応援してもいいんだ、この西洋人みたいな世界標準を知っていそうな彼らが言ってるんだからきっとイイーンデスって事なんだろう、なんだそうなのか、と、我々の罪悪感が段々薄まり、自虐史観の洗脳から大分解放されて行ったんだと思うのです。
その意味で、あの兄弟の日本への貢献は計り知れないものがあると思うのです。本人達はそんな気はないと思いますが、結果的にそうなっているのです。ただ声が大きいサッカー好きの熱い兄弟ではないのです。『第31話. 日本の真の恩人』でも指摘しましたが、確実に日本の大恩人の範疇に入る方々だと思います。私が首相なら間違いなく彼らに国民栄誉賞を与えます。それが無理でも”日本の真の恩人賞”を新設して与えたいくらいです。彼らはそれだけの事をしてくれました。本当にありがたい兄弟、日本の真の恩人だと思うのです。

湖畔人


第117話. デジタルアート 東京五輪への提案

2018-06-24 12:56:53 | よもやま話,雑感,最近思う事
湖畔人です。

今朝、朝起きて、テレビを付けてみると、日テレの情報番組で、お台場で始まった体験型のデジタルアートスペースの紹介をしておりました。入場者に光や画像が反応する体験型のデジタルアート空間でして、時々刻々と絵柄が変わるその映像美は圧巻でした。とても美しい光の芸術空間になっておりましたね。番組に出演していたジャーナリストの手嶋龍一さんが、それを見て”是非東京五輪で披露すべき”と言った主旨の事を仰っておられましたが、それには全く同感でして、是非、東京五輪の会場を動く光の芸術で包んで頂きたいな、とそう思いました。出来れば、オープニングとエンディング、両方でお願いしたい所です。願わくば、エンディングでは是非、その動く光の芸術空間とテクノの大御所であるYMOの音楽、それとperfumeのダンスパフォーマンスを組み合わせた、究極のステージを演出いただけないかな、なんて思いましたね。是非見てみたいですし、誰か、実現してはくれないでしょうか?良いと思うんですがね・・・どうでしょう。後はAKB等アイドルカルチャーとアニメの融合でしょうかね。色々と様々なアイデアが出て来そうでとても楽しみですね。ただ韓流だけは混ぜないで頂きたいですね、フランスのJAPANEXPOにもいつの間にか紛れていますが、超ありがちな話なので要注意ですね。

湖畔人

第116話. 人類への信頼を深める方向で③ マーヤとハッチ

2018-06-24 12:03:45 | 文化論
湖畔人です。

前前話の続きですが、第114話では、積極的に人が信頼できる世の中を作ろうとしないと、そうはならないし、その為には、人間神の子の思想やそれに基づいた日々の善業の積み重ねが要りますね、と言う話をしましたし、芸術においても、もっと単純な善人が作り出す温かい世界をもっと描いて欲しい、とも、申しましたが、それで思い出したのが子供の頃に見ていたアニメ『みつばちマーヤの冒険』です。
原作は確かヨーロッパの物だったと思いますが、この漫画に登場するキャラクターは、皆いい人?(虫)達ばかりで、とてもゆるくてホンワカする気持ちになるアニメでしたね。同じミツバチをモチーフにした他のアニメ、『昆虫物語 みなしごハッチ』は、絵も劇画調で、イジメや困難を克服する激し目のアニメでしたが、同じミツバチを描くアニメであっても、こうも違うものになるものなのか!と子供ながらに驚いたものです。私はこのゆるーい方の『みつばちマーヤの冒険』が大好きだったのですが、今でもああしたゆるーい善人だけが出て来る世界を描いた作品をもっと見てみたいなと思ってしまうのです。また是非再放送でもしていただいて、現代の子供達にも見て頂きたいなと思うのです。水前寺清子さんが歌っていたオープニング曲もエンディング曲もとても優しい歌でとても良かったなーと記憶しております。何かとても懐かしいですね。
できればあの世に帰ったら、あんなゆるーい世界に帰りたいなぁ、と、そう思う事があります。でもああしたゆるい世界に慣れてしまうと、きっと此方の世界に戻る時に、そのギャップにシンドい思いをして、拒絶反応を起こしたりして大変な思いをするんだろうなー、とも一方では思うので、中々難しい所ですね。この世ではある程度強くないと余り世の役には立てませんので、中々その辺りの加減が難しい所ですね。中々ね・・・。

湖畔人

第115話. 人類への信頼を深める方向で② 負の連鎖を断ち切る

2018-06-24 10:51:31 | よもやま話,雑感,最近思う事
湖畔人です。

前話では、虐待やいじめ等で、この世界を悪しき世界、信頼のおけない世界と思ってしまう人が増える事は、本来の人類の成り立ち、神が人類や世界に掛けた願いからしてあってはならないし、一方でそうした世界は、何となく成り行きで出来上がる物ではなく、積極的に多くの人が人を信頼できる世の中を作ろうと決意しないとそうはならないし、人間神の子の思想の元、丁寧に善業を積み重ねないとそういう世界は出来て行かない、と言う話をさせていただきました。

イジメも虐待も、それらをする加害者は、実は嘗ての被害者であった場合が多いようで、自分がされた辛い出来事を今度は自分がする側に回りウサを晴らしている、それも、ほぼ無意識に行われる負の連鎖なようだ、と、そう言うような事をよく聞くのですが、もしそれが本当であるならば、こうした不幸の連鎖はどこかで止める必要がありますよね。誰かが心を決めて止めないといけません。その事実に気付いた人が、気付いたその日から、腹を括り、私がこの負の連鎖を止めるんだ、私がこの悲しい歴史の最後になるんだ、決して未来には残さないぞ、と強く決意し、実施しないといけませんよね。その決意と実施がどれだけ大変なものかは分かりませんが、でもやらないといけない訳です。是非、頑張って意識して止めて頂きたい所ですね。

でも、もし、カルマ、業、自分が成したことは必ず自分に返って来る、と言う思想が世間に強く根付いていたならば、本来、こうした酷い事は起きないはずなのです。自分が成した酷い事は、何れ自分に返ってくる訳ですから、本来ならそうした酷い事は怖くで出来ないはずなのです。

やはり、こうした不幸の根幹には、人間神の子という思想の欠如、神仏や故人の霊が常に我々の行為全てを見ていると言う霊的世界観の欠如、成したことが全て自分に返ってくると言うカルマの思想の欠如が、こうした負の連鎖の根幹にあると思えるのです。人間神の子、霊的存在、カルマと輪廻の思想をもっともっと常識にしていく必要がありますね。

やはり、この世界は神無しではうまく回らないように出来ているように見えるんですよね。神を否定すると自滅の道を辿る仕組になっているように見えるんです。考えの基本に神を置かないとうまく行かないんですよね。これ本当の話です。

湖畔人

第114話. 人類への信頼を深める方向で

2018-06-24 00:10:23 | 文化論
湖畔人です。

実力のある役者、上手い役者はどんな役者か評価をする際に、どうもうまい役者とは、人間の持つ愚かさ、醜さ、負の側面をどれだけ表現できるか、そう言った視点で評価がなされているケースが多いように見受けられます。これは役者に限らず、小説、音楽、映画、芸術全般にそう言った見方の傾向があるように見えます。まあ、そうした見方も、ある程度は判らないでもないですし、人は複雑なものを好む傾向がありますし、真に迫った物、エグイものを好む方々も多いように見受けられます。たた、その描かれる悪が、反面教師として、真似てはいけない姿として、描かれるのであればそれは良いとは思うのですが、そうでは無くて、こうした人間の悪を描くことで、それらを観た人々が、如何に人間が愚かであって、本来滅ぶべき悪しき存在である、等の、人類に対するネガティブな印象を持つ人々が増える結果になるのであれば、それはそれでやはり問題であって、それは、芸術に限らず、我々の日常の行為においても、そうした人間不信を招くような行為は控えられるべき、と思うのです。特に、無差別に人を殺傷するような方々は、自分自身やこの世界に絶望してああした事件を起こすと聞きますし、イジメや親に虐待を受けた方々だって、人間や社会への不信を募らせている事でしょう。ですから、人類や社会に対する不信を増幅する方向での芸術表現や、人間不信を招くような我々の行動も控えられるべき、と思うのです。
これまで学んで来た様々な世界観、教えによれば、この世界は、そして我々人類は、どうも例外なく全て神の子であり、神の一部であり、神と言う巨木の葉の一枚一枚であり、霊的な存在でもあって、何度もこの世に生まれては、様々な経験や知見を重ね、より神仏に近い存在に近づかんとしている存在である、というような世界観を教えて頂いています。もしその世界観が真実であるとするならば、本来この世界は神の子達が住まう世界、素晴らしい世界、信用できる世界であって、上記のような、人間や社会への不信を募らせる方々が多い状況は神の目から見たらあってはならない状況なのだと思うのです。
しかし、実際には、そうした神の子としての自覚、霊的存在としての自覚を持った方々は少数であって、その結果、かなりネガティブなイメージを人類や社会に対し持っている方の方が多いと言うのが実際のように見えます。我々皆が神の子達であるならば、こうした状況はあってはならない状況でして、本来のあるべき状態に近づけねばなりませんよね。神様だって不本意に思っている事でしょう。
ただ、成り行きに任せていては、現在のように、世界や人類に対しネガティブなイメージを持つ方の多い現状を変える事は難しいでしょう。この状況を変えるには、まず、多くの人がこの世界を信頼に足る良い世界にしようと、積極的に関与する必要があります。まずは思想として、考え方として、全ての人類が例外なく、神の子達であり、神の一部であり、霊的存在であり、転生をし、経験と知見を重ね神近き存在へと成長することを期待されている尊い存在である、と言った認識を、多くの方々に共有いただき、その上で、多くの方々に、日々そうした考えに基づいて、その考えに沿った正しい行動を積み重ねて頂き、この世界が、正直で親切で明るく世話好きな素晴らしい人々の集う信頼に足る世界である、と、そうした認識を多くの人達に持ってもらえるようにする必要があります。我々の行為を見て、人間不信に陥る人がいてはいけないと言う事です。ですから、正直である必要があり、親切で思いやりが必要であり、言動に一貫性も必要だと言う事になります。
芸術の世界においても、出来るだけ、そうした正直で親切でおせっかいな人々が作り出す思いやりと信用の溢れた明るい世界をもっともっと描いて頂きたいと思うのです。複雑で屈折した難しい人間達の織り成す世界よりも、もっと単純な善人が作り出す温かい世界をもっともっと見てみたい、と、そう思う今日この頃です。

湖畔人