第220話. 今後の基本方針=信じられる人になる

2019-01-04 13:11:56 | ★カジュアルスピリチャリズム(カジスピ),多分あっていると思われる事,人生観
湖畔人です。

前話では想定される今後の世相のお話をしましたが、個人としての今後の基本方針めいたものも一度マニフェストしておきたいと思っています。今後かなり忙しくなると思われるので、ブログは休みの内に出来るだけ書いておこうと思っています。

基本、霊的人生観を持って世界を見直す事が大事で、その視点から見ると、人間は全ての人が例外なく神の子達であり、神の一部でもある霊的な尊い存在であり、数え切れない程の転生輪廻の中、多くの経験を重ね、その中で他人を学び、自分自身を知り、霊的世界観への理解を深め、親切行を重ね、仕事を通し社会に貢献してゆく、そして、それらを通してより神近き存在に成って行くのがこの世に生を受ける主目的で、一方、生きていく中で成した全ての思いや行為は良い事であれ悪い事であれ全てカルマとして記憶されて行く為、それらへの報いは良い事であれ悪い事であれ全て今世または来世以降の将来に必ず自らに返ってくるので、極力良い事、良い思いのみを成すようにすべきである、と言うのが簡単に言うと、我々を取り巻く霊的環境の真実であろうかと思うのですが、ここに、もう少し自分的に特に大事だと思う切り口と言うかモットーを設定したいと思っています。

それは、今後、自分としては、今年だけでなく残りの一生のテーマとして、『信じられる人間であれるよう努力する』と言うテーマを自分に課したいと思います。

幸福感の元は、人を信じられる事が基本だと思うのです。周りにいる人が信じられて、自分を肯定してくれる、愛してくれている、と思うから幸せを感じるのであって、周りの人が信じられず、疑心暗鬼でいては幸福では無いですよね。顔では笑っているけど、心の中は判らない、何て思っていたら幸福では無いですよね。

以前も第205話の確かな事(1)でも、“宗教に入っていると言う事は、神の元、信じられる世界の建設に積極的にコミットしようとしていると宣言しているに等しい”と申しましたが、神を信じると言う人間、自分は信仰者だ、と言う人達は、信じられる人間になろうと努力する義務があると思うのです。でないと、信仰者自体のイメージが悪くなるし、信仰される神のイメージまで悪くなるし、幸福な世界が始まりませんからね。

まずは、自分の身の回りの人達に対して、『私は神を信じるので、心の中まで見られて恥ずかしくない生き方をしようとしているし、嘘はつかないし、人に親切にしたいといつも思うし、信じてくれていいですよ。全ての人の心の奥に仏性や神性が宿っていると信じているし、自分自身もイイ人であろうとするけど、でも幾ら仏性や神性が宿っているからと言っても、それに反する考えや行動を取る人達には容赦せず、批判も喧嘩もしますよ、″君達の行為や考えは君の仏性や神性に見合っていない、あるべき姿になりなさい、間違っている”、とね。でもそれは同じ神の子、仲間として、あなたの心の奥底の仏性や神性を尊敬と愛を持って見据えた上での話だから誤解しないでね。決して好き嫌いとか、感情任せのものでは無いから。それと同様に、もし、こちらの行動や考えに道に外れたものを感じた時には、遠慮せず批判してくださいね。ただ、お互い言葉遣い、言い方だけは気を付けて紳士な対応を心掛けましょうね。と言う事で、私の事は安心して信じて貰って大丈夫ですから。信じてください。私とあなたとは、神の子としての、深い所で繋がった仲間ですからね。』と、そう思う所から始めたいと思います。できればそれを口に出して表明できればベターだし、更に言えば、バッジか何かにして頂いて、”私は信仰者です。人間皆神の子、転生輪廻、カルマを信じているから信じて貰ってOKです!“と書かれた缶バッジをジャケットの襟辺りに飾りたい位ですね。

と言う事で、早速今日から意識的に『信じられる人になるプロジェクト』を始めてみたいと思います。
まずは自分から始めないとね・・・。

でも、見た目は相変わらずチョイ派手、チョイ悪風の線を狙っていきますがね。
そのGAPが大事と考えます。

それでは、また後程。

湖畔人

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