ときどき私はどうしてこの国を選んで生まれてきたのだろう
と思うときがある
宿命というのがあって
生まれた国、両親、自分の姿などは自分では決められない
と多くの人が言う
しかしまたある一方で
国も、両親も、自分の容姿も、頭の程度も兄弟も友人も職業も
すべて自分で選んで此の世に誕生するという方もいらっしゃる
どちらの考え方見方をとっても
現実に私は日本に生まれあの両親に育てられた
自分が選んだ
と言う道を取ると何もかもが積極的な学びを知る事になる
生まれた年も自分で選んだとすると
幼いときの戦争体験
其の戦争をくぐり抜け子供達を真剣に育てた両親の愛
幸い喧嘩をする両親を見たことがナイ
母はいつも父を尊敬し大事にして子供達より優先順位が上だった
しかし母は気ままな自由人で自分の趣味を犠牲にすることはなかった
しかし家族の世話に手を抜くことはない
こう言う母を選んだのは何故なのだろうと考える
何事にも弱音を吐かない母の姿を学ぶと言うこともある
ざっくばらんな態度がときに下品に見えたりもする
其れを反面教授として学ぶと言うこともある
姉や兄二対する見方も「學ぶ」と言う観点で見ると本当に色んな事が解る
周りに現れる人々も自分が生まれる前に選んだ人たちなのだと思うと
其の一人一人に対してもみ方が変わってくる
静かな時間をこんな思いで過ごしたお正月
と思うときがある
宿命というのがあって
生まれた国、両親、自分の姿などは自分では決められない
と多くの人が言う
しかしまたある一方で
国も、両親も、自分の容姿も、頭の程度も兄弟も友人も職業も
すべて自分で選んで此の世に誕生するという方もいらっしゃる
どちらの考え方見方をとっても
現実に私は日本に生まれあの両親に育てられた
自分が選んだ
と言う道を取ると何もかもが積極的な学びを知る事になる
生まれた年も自分で選んだとすると
幼いときの戦争体験
其の戦争をくぐり抜け子供達を真剣に育てた両親の愛
幸い喧嘩をする両親を見たことがナイ
母はいつも父を尊敬し大事にして子供達より優先順位が上だった
しかし母は気ままな自由人で自分の趣味を犠牲にすることはなかった
しかし家族の世話に手を抜くことはない
こう言う母を選んだのは何故なのだろうと考える
何事にも弱音を吐かない母の姿を学ぶと言うこともある
ざっくばらんな態度がときに下品に見えたりもする
其れを反面教授として学ぶと言うこともある
姉や兄二対する見方も「學ぶ」と言う観点で見ると本当に色んな事が解る
周りに現れる人々も自分が生まれる前に選んだ人たちなのだと思うと
其の一人一人に対してもみ方が変わってくる
静かな時間をこんな思いで過ごしたお正月