今年は秋が短かった
今後は冬と夏が中心になっていくのだろうかと考えてしまう
季節を先取りする着物の着装作法が変わってきた
現代は「季節を共に遊ぶ」という感じだ。あの清少納言が聞いたらひっくり返るかもしれない。彼女は季節を尊ぶということは先取りしてきたる季節に敬意を払うと言う作法を大事にしていた
桜の季節に桜と共に咲いて見ようとばかり、今年の桜のシーズンは🌸桜の着物で溢れかえった観桜パーテイが多かった。
これも時節なのだなあと思う
紅葉の着物や帯はともかく、秋の七草、秋桜の着物や帯を身につけないまま秋が終わった。
日本人が季節を着るようになったのは奈良時代の「色」の階級制ができてからのように思う。それぞれの色をその季節の植物で染めて楽しんだという形跡が古い遺跡からも窺える。先人たちは、何事も天から与えられるものに感謝して過ごすとことで日々を暮らしていた
それが私たちの着物の始まりだ
身近な自然の美しい四季の情景、植物から貰える四季の色、そういう絵画を身に纏うという着物の存在、こんな衣装は世界に稀だと思う。だからこそ楽しみたい
先日大嘗宮の後を見学したが、神事に参画する方の装束は全て白。古代から白は「光」と解釈されていたので、松明の明かりに煌く白は神々しかった。
一方位を持つ人たちが見守るテントの中では当時何をきたのだろうといろんな資料を探したがまちまちで、青摺の袍が正解のようだ
当時の青摺は「山藍」なので、気品のある青だったに違いない。平成からはモーニングコートになったよう。
古代から延々とつながっている大嘗祭にモーニングコートという異国の衣装では日本の神様も戸惑うだろう。
歴史がちぐはぐに伝えられてきていて形だけ残っていくのは間違い
大嘗宮を見ることができた現代人は質素で簡素な美を持ち続けている日本を誇りに思って欲しい。
税金で22億も使ってという声もある
しかし使い古しの飛行機を一兆円で購入するより遥かに平和な出費と思う