なんとなんと
三代の市川團十郎襲名披露を観たぞ!しかもお家芸の「助六」
第十一代目は形の美しさ、醸し出す華麗さ、江戸の男の切れの良さ、オーラ半端でない
第十二代目はおおらかな男の色気と茶目っ気のある親しみ深さに美しさが同居、我らが助六さまという感じ
第十三代目はちょっと線が細いカナ、形の美しさは抜群、でもそれにこだわっている感じもした(厳しいカナ)顔が十一代目と似ているので、これから大きな役者になるやも
息子の新之助は子供ながらにオーラ―がある、きっと大物になるのだろう
チャ子ちゃん先生の「助六」好きは、十一代目の「助六」を見てからだと思う
歌舞伎好きの叔母の「海老さま」詣でに付き合わされていた。重箱弁当とお小遣いにつられ、しぶしぶ大人の娯楽についていっていたが、襲名披露の「助六」に度肝を抜かれた
赤黒白、そして紫のハチマキの助六のなんとも粋でダンデイ
遊女たちのきらびやかな衣装の前に、助六の単色の美、この美意識が歌舞伎の醍醐味だったのだと、初めて気が付いた
叔母をはじめ、東京中の女たちが「海老様」にうかれ、彼女たちの「海老絶ち」のため築地では「海老」が売れなくなったという社会現象まで起こしたほど、市川海老蔵時代の十一代団十郎の人気はすざましかった
学生時代からそういう現象を斜めに見ていたのだが、1962年(昭和36年)の襲名披露を見たとき私は歌舞伎開眼した。この興行では当時のお金で1億円稼いだという。戦後の歌舞伎を復活させた海老さまだ
しかし襲名後たった3年で56歳の命が絶たれた
跡を継いだ第十二代団十郎さんは父親の居ない歌舞伎界で大変な努力の人だった。そういう同情もあって、着物の仕事をはじめたとき、すぐに海老蔵時代の彼の取材をたくさんさせていただき、着物姿の撮影も随分した。楽屋にも遊びに行かせていただいていたが、その海老蔵の美しさに、いつも緊張していたチャ子ちゃん先生
誠実な方で、私どものイヴェントにも顔を出してくださっていた
暫く歌舞伎から遠ざかってしまっていたが、歌舞伎鑑賞は人を元気にしてくれる大衆娯楽だとつくづく感じる。場内で食べることも許されているっていいよね