有言実行
昭和の初期までは「口と心と行い」が伴わない人は軽蔑されていたように思う
「あの人口ばっかり」
「あれは心が伴っていないから人に信頼されない」
「がむしゃらに行動しても成果は上がらない」
「あの人はえらい言ったことは必ずやってくれる」
このような大人の言葉を時々耳に挟んだ幼少時代がある
戦前の家には「縁側」というものがあって、中庭の縁側には、近所の人や、物売りや、植木職人などなどの人が、母のふるまうお茶を飲みながら世間話をしている
幼い子供たちはその大人の目の届くところで、ままごとや砂遊びをしながらそれとなく大人の会話に耳を傾けている
傾けているというより、自然に言葉のいいくつかがそれぞれの耳に入り心に残っていく
同じ話を聞いていても子供たちの頭ではみんな同じのことを感じているわけではない
それぞれが成長していって腹の底に位置ていた大人たちの言葉がよみがえることがある
失意や苦しみに向き合ったとき、ふと幼い時に聞いた大人たちの言葉がよぎる
「ああそうなんだ!」
そこから立ち上がることもある
昨夜信号を渡ろうとしたら、姪の娘にばったり
「比佐子おばちゃんに会えたうれしい‼ 付き合って」
ワインをごちそうになりながら様々話を聞いていく、とりとめのない肉親の話だったり、友達との会話の感想だったり、お稽古場の様子だったり
「肉親」という不思議さ、どんな内容の話でも忌憚なく会話が進む
神様もなかなかしゃれている
わざわざ「お話があります」という電話などもらうとお互いに構えてしまうが
こういうように自然に会えれば、昔の縁側の大人の会話ができる
結局
「口と心と行い」が一緒でないと幸せにはなれないね。ということでお開き