与える事より受け取ることの方がむつかしい
与え続けていると人は傲慢になりやすい
受け取るばかりだと人は依頼心を持ってしまう
この兼ね合いができるようになると、人生も卒業かな
実の両親の老いを傍で見ることはなく
近くにいた兄、姉や姪から聞く両親の老いの姿うぃとごとのように聞いていた
老いを美しいと感じたのは「姑」の姿
「愛」を受け取るのが上手だった
介護は小姑に任せきりだったので、できるだけ外に連れ出すのが私の役目とおもい、楽しそうなイベント、温泉や、美しい自然に連れ出していた
だんだん認知が進み私に会うたびに
「まあ比佐子さん久しぶり、私たちやはりご縁があるのね、本当にいつもありがとう」
小姑と目を合わせて笑う(昨日もあっているのにーー)
つれづれの仲間と宮崎の綾の手紬の研修旅行に行くと言ったら
「私も行きたい、これでしょう?」
秋山さんの綾の手紬を縫ってくれたのは姑、そして今はそれが車椅子で外出するときのよそ行きひざ掛け
道中の移動はつれづれの仲間が変わり替わり車イスを押し、それに対してニコニコ「ありがとう」と手を合わせて拝み、押してくれる人に必ず一言の誉め言葉「いい香りとか声が美しい,品のいい着物の着方ねなどなど」
すっかりみんなのアイドルになり、いわれるままに唱歌を歌ったり、そこはきものの仕立てのできる人、皆さんの寸法のとり方にも丁寧に答えていた
車いすの人が一緒ということでちょっとむつかしい顔をしていた人も、姑の自然体の明るさにすっかり態度を柔らかくして楽しんでくれた
姑はみんなに愛され、大切にしていただいて、とても幸せだったとそのまんまを口にして感謝している
羽田で別れる時、一人一人が姑を「おかあさんまたね」と言って抱きしめていた
愛を与えることの上手な人は、愛を受け取ることは更に上手と感じた