先日古き屋敷に伺って「障子の効用」に改めて気が付いた
若いころ大人の女は障子の開け閉めにうるさく、三手で開けるということを厳しく言われたものだ
障子を開けた後左足で入るのか右足が先なのか、それぞれ作法の先生の流儀があり違っていた
母は「神主さんの歩き方を見ていればいい」とだけ言う
その言葉のせいか私は人の足元を注意深く見る癖がついた
だのに自分は外叉で歩く(笑)
障子は上に半分開けたり,雪見障子というのだが、景色を切り取ってみる、そうすると見えない部分に想像力が高まり、外の景色に気持ちが動いていく
昔テレビで「チラ見せ」なんていって裾をからげる動作が笑いを誘っていたが、日本人はチラリと見た景色の奥を想像するのが上手な遺伝子を持っているのだと思う
障子は影を映す、それを利用した「闇笛」とか「影笛」と呼ばれる金沢の笛の鑑賞の仕方があるが、初めてお座敷に上がり、障子に影を映して奏でる笛の音色に酔いし入れた
こういう音の楽しみ方があるのかと感動した
障子は和紙一枚で仕切られているのだが、そのあたたかさと、その場の落ち着きはたとえようがない
カーテンの仕切りとは違う、軽やかだけど重みのある空間ができる
襖というのは完全に外との遮断だが、障子は隣の気配を感じながら、一線を引いている、細やかな情感を持っているのが障子
子供のころちょうど今頃の季節から家じゅうの障子の張替えが始まる
子供の仕事は障子の紙を破くこと
これが楽しい
ぼこぼこ穴をあけて紙をはがし、其のあと障子の桟をぬるま湯につけた布で洗っていく。晴天の日に行うので何日か続く、その間家中の空気も入れ替わっていく
あるアメリカ人が今の日本は「偽日本」本当の日本を早く取り返してほしいといっていたけど、まさしくそうだと障子を眺めながら思った