感情でものを判断する方が多く、その相手の感情に影響受けてしまう
こういう日本人が多くなったのは戦後の教育だろうと思う
ここのところ50代前のぶんぶん鳴らしているキャリアウーマンにお会いすることが多い
間に入る男性が「ナカタニという変わったおばあさんがいるからあってみるといいよ」と動物園に連れてくる乗りで紹介してくれる
今の若い人たちがどんな気持ちで生きているかを知ろうという軽い気持ちであっている、そしてできることがあれば応援もしたい
彼女たちは自分の思いを自信をもって話してくれる
社会にこういう形で貢献したい、其れにはモノづくりの人を紹介してほしい、その人たちが海外で活躍できるようにしたい(その人たちは別に海外で名をうりたいと思っていないと思う)
日本の文化をもっと海外の人に伝えたい(どこの国に?)
そういう高邁な気持ちを話してくれる
「だから私に何をしようと?」
「ーーー」
自分の思いをとうとうと述べていくだけの人もいれば(ゴミ箱になっているよチャ子ちゃん先生は)
自分の仕事の都合がいい人を紹介してほしい人もいる(人が今まで培ってきたことを簡単に自分のものにして平気な人)
こういう人は親から何もかも与えられ、自ら努力などしなかったのだろう
表向きはいい仕事をしていらっしゃる
自分に何かが欠けているという思いもある
その欠けている部分をどうやって見つけ埋めていくかが、自分一人ではできないという忸怩たる思いもある
このような日本人を作ったのは戦後の教育の欠点であろうと思う
それは日本の國がどういう国なのかの教育が全くなされなかった
大東亜戦争前の日本の家族の在り方、男と女の役目、長幼の礼、礼儀作法
徳を尊ぶ教育などの教育が必要なのだろうなあと思うこの頃