昨日個人が持つコンサートホールで後藤泉さんのピアノを楽しんだ
音響が優れてることはもちろん、演者の控室、休憩室も明るくて彩光がよく、くつろげる空間、一部の休みに音の余韻を楽しめた
ご家族がおもてなしをしているので、心がこもっていて、一口チョコレートを頂きながら、香りのよいコーヒーがまたおいしい
中世ヨーロッパではこのように貴族の館でコンサートが開かれ、モーツアルトやショパンなど多くの音楽家を傑出したのはこういうサロンコンサートが日々もよされていたからだった
日本でも将軍や大名たちが自分の屋敷に演者を招き、能楽や狂言音曲などを楽しんだことが、いいろんな絵巻で伺うことが出来る
富栄えた人々のお金の使い道は、その国の文化芸術を生かすことにあったようにおもう。だから国々の芸術文化が繋がれ残ってきた
著名な小説家の母上が残した着物や丁度品を見る機会がった
陶芸、漆器類は異論、着物や帯留めなど一流(有名ではない)の芸術家が作ったものに目を奪われた
作り手たちがどれだけ精魂傾けたか、その輝きが迫ってくる。しかもそれらを日常に使い生かしている。「もの」たちの喜びの表情が,名器をさらにひからせていた
残された着物もそうだった
着る人がいて作る人がいる、二人の魂が溶け合ったような着物づくり、枚数は少ないが、一枚一枚が芸術であり、それをまた着こなした写真も一緒に見せていただいた、モノだけ手にとって、技術のすばらしさはわかるが、さらに着た姿でモノが変貌する
友人の中にも、作り手の技術に敬意を持ち、ご自分の感性と同調したものしかそばに置かない人がいる。もちろん富豪だ、最高の技術、研ぎ澄まされた美しさ、それが自分の感性とあい、次の世代に残しておけるものがあると喜んでお金を使う(世にいう有名作家にではない)人が認めた人ではなく自分自身の目を信じている。むしろ無名の人の発掘を心掛けているようだ
お金の使い方でその人の品性が問われるとはよく言われているけど、昨日美しく響き渡る後藤泉さんのピアノの音を耳にうけながら、「お金も喜んでいるのだろうなあ」と嬉しくなった
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