チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

家茂・和宮の「衣の心」

2013年06月06日 09時17分50秒 | 日記
「空蝉の唐織り衣もなにかせん
あやもにしきも君ありてこそ」

皇女和宮が将軍家茂公に嫁いだのは17歳の冬だった
そして21歳の春
長州征伐に出陣する夫君から
「都での思い出に何かほしいものはない?」
と尋ねられた和宮は
「できたら西陣織の打掛を」と所望

出陣した夫家茂公はすぐに西陣の職方に七宝柄の打掛を注文した

しかし家茂はその年の夏21歳の若さで客死帰らぬ人となったのだ
その知らせの後に和宮の許に届いたのが唐織の打掛
その打掛を手にし羽織って「空蝉のーーー」と詠まれた心境いかばかり

取材というありがたい仕事でいまは増上寺に袈裟として保管されている
この布を撮影し触ることができた
その日は雨手入れの行き届いた奥庭は芝生の緑が一際美しく
座敷に広げた空蝉の袈裟が渋い光を輝かせていた

どなたの立ち会いもなくチャコちゃん先生触りまくり(苦笑)

七宝柄は永遠につながる柄
この柄を注文した家茂公は心から和宮をいとしいと思っておられたのであろう
カメラのレンズを通してみると綾や錦は君ありてこそという意味が心にずしんとくる
美しく気高い布

しかし和宮は家茂の訃報を受けられるやただちに薙髪なさったので
打掛が届いたときはもうお召しになる機会はない状況

家茂が長州征伐に出陣されてからの毎日
和宮は増上寺の黒本尊にお百度を踏んでおられたのですが空しく家茂公の訃報
和宮は打掛を袈裟に仕立て直し前句をそえて増上寺へ寄付なさった
今でも5月9月の和宮ゆかりの日はこの袈裟を身にまとった
増上寺大僧正による和宮の供養が開かれている

和宮がいやいや降家し有栖川の宮に思いをかけていた
という歴史学者が多いのだが
この空蝉の袈裟を見る限り家茂と和宮の深い愛を感じないわけにはいかない
若い夫婦の細やかで深い愛を感じた撮影ではあった

ちょうど今自分の数年前の撮影

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 夏のきもの6枚行方知れず | トップ | 言葉の軽さ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事