湯文字は日本最古の下着
文明開化と一緒に日本に西洋式パンツが輸入され、洋装に走った日本女性はパンツをはいた
しかしその形に抵抗した女性も多く日本中の女性がパンツをはくようになったのはアの敗戦以来だ
それでも明治生まれの母たちの年代は洋服の下にも湯文字を付けていた
母は真夏に「アッパパ」と呼ばれるワンピースを家で着ることもあったが、その裾から湯文字がちらりと見えていたりして「みっともない」と姉たちに叱られていたのを覚えている。ひどいときにはそのアッパパに足袋を履いていたりして、あまりの不評に耐えかねて、母はまたきもの姿に戻った
その時ちらりと見えていた下着が湯文字なのだが、きものを着るようになったチャ子ちゃん先生が、その湯文字を付けるのには少し時間がかかる
当時は湯文字という名ではなく「おこし」と呼んでいた
その形状は力布が肚の周りにきて膝までの長さの布が腰全体を覆う
誰がこの形を考え出したのかはわからないけど、心してその「おこし」を身に着けながら過去を探ると、浮世絵や絵物語にその形状が登場する
早速次姉に縫ってもらい真面目に身に着けると、一気に背筋が伸び足が長くなったような気がする。つけただけで腰回りがすっきり。これはすごいやと湯文字生活をした先輩たちを集めて座談会を開いた
何と驚くなかれこの湯文字を付けているだけで、生理のセンサーが鋭敏になり尿意を感じると同じように、しゅけつを感じるので厠に行って流す。だから衣類を汚すなんてことはない
「えええー」と驚嘆
それだけではなく、自分自身の体の変調がいち早くわかるようになり、心の整え方もできるようになる
日本の女が賢かったのは自分自身がわかるので、人も理解できるということだ
湯文字一枚で人生観も変わる、現実に変わった人も多い
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