日本語ががなくならない限り着物はのこる。そのためには日本語をきちんと話したい
今朝にわかに気が付いたことが在る
散歩をしながら「あえいおうー」という発声練習をしていた
そういえば赤ちゃんがこの世で一番初めに発する音はこの母音ではないの!
どこの国の赤ちゃんもみんな最初の声は「あー」とか「うー」「ぎゃー」といっても「あー」が残り「オガー」も「あ」が残る。母音とはよく言ったものだ、母の身から離れた瞬間に出す音が「母音」(すごいぞすごいぞこの発見と駆け足になる、まあ言語学者はみんな知ってのことだと思うけどーー)
つまり母音は「いのち」の音なのだ、チャ子ちゃん先生の浅学によれば、この母音を言語として使っているのは日本語だけのような気がする(違っていたら教えてください)
日本の言語は「言霊」だといわれるけど命の音だもの当たり前、それに毎朝思うけど自然界の中には母音しかない、風の音「さらさらあー」「ひゅーひゅうー」「か―かーあー」「ぴちゃぴちゃあー」「ごろごろおーー」木々も鳥たちもみんな母音を発している、日本語って本当にすごいよ
この美しい母音を話す日本語にふさわしい装いは着物しかあるまい
衣擦れの音、袖が触れ合う音、動く度に聞こえる絹鳴りの音、たたむときの絹の音、着るとき脱ぐときの絹がすれる音、みいんな母音だ、だから着物を着るとエネルギーが上がるのだ、わかったぞ
西洋文明は日々命から遠ざかっていくように思う
コロナ後の暮らしぶりはやはり循環文化だ、たくさん作って消費して捨てるという時代はもう終わった
母音を話す日本語を大切にするだけでも地球に貢献できる。ましてや自然素材の布を身に着けるということも地球を尊敬する態度といえる。これからはいかに地球が喜ぶことをするかにかかっている
ある大麻愛好者がチャ子ちゃん先生にこう言った
「絹がいい絹がいいとおっしゃるけど蚕は動物でその命を無残にも殺している、ですから私は絹は着ません」
一理ある。だからこそ我々の賢い先祖は、蚕の命を尊ぶために一ミリも捨てない着物の裁断図を作り100年以上も一枚の布が循環する形を考案した、しかも蚕の命そのものも使いいきり、感謝の心を込めて祀りごとをしている。それが日本人の心の骨幹だ
日本の「言葉」がある限り日本人の物の命を大事にする「心根」は永遠だと思う
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