何十年ぶりなのかな奄美大島に行ってきた
飛行場も新しくなり、前の飛行場の後には「田中一村」の美術館がたっていた
泥染めの工房で「チャ子ちゃん先生のライブ」をする
しかし離島の電波事情が素人の手に負えなくてとぎれとぎれの発信となり、ご覧になっている方にイライラさせてしまった
初めて奄美大島に行ったときは鹿児島から船で行った
その時のサンゴ礁の美しさが今も目に焼き付いている
二度目に行ったときは鹿児島からプロペラ機で奄美に渡った。東亜国内航空だった。夏になると団扇を渡されみんなのんびり海を見ながら飛行機に乗っていた。その時も美しいサンゴ礁が私達を迎えてくれた
島に着くと蘇鉄の木がうっそうと茂り、赤い実がはじけていた。遠くは芭蕉の山近くはサトウキビ畑、なんとも長閑な風景だった
ハイビスカスの赤が青い空にくっきりと光り、生まれて初めて見るバナナの青い実、パパイアという果物の実、車窓から身を乗り出して眺めいった
勿論大島紬の取材に行ったのだ
なのに島の景色や食べ物の印象の方が強く、東京に戻ってもその話ばかりで先輩たちにあきれられてしまった
行った目的は「家庭画報装趣会」というページを設け、そこで家庭画報独自の着物を発表をしようという企画。それを通信販売までに持っていくというのが
本多編集長の狙いで、その独創的なデザインをする使命をもって編集長ともども訪れたのが第二回目だった
一回目は予備取材で、大島紬の工程をしっかり勉強をすることだった
東京からは問屋さんや業界紙の人は訪れるが、女性誌の記者が来るというのは珍しく大歓迎を受けた
その為景色と食べ物が一番印象に残ってしまったのだ
しかし20工程をみっちり見て歩き、その中でも特に印象的であったのは「泥染」の作業だった。てーちぎ(車輪梅)の木を斧で削り、その煮汁に糸をつけ、更に泥田に持って行ってその糸をつける作業を70回繰り返すと得も言われぬ温かみのある黒色になる。これが大島紬の特徴である地色。この黒は黄色人種の日本人の肌を美しく見せてくれる、サンゴ礁を砕いて中和をしていた
つまりは島にあるもので、この美しい色を作りだしていたのだ
(続きは明日)
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