チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

不倫は疲れる

2010年01月19日 09時25分41秒 | 日記
真木さんサチコサンとこの秋の企画打ち合わせをした後
「チョット映画にでも行かない?」
「シャネル見るか」
と二人してシネマへ

「アア疲れた」
「イが重くなっちゃった!」

見る前に軽くザルソバを頂いていたので空腹ではない
「わいんでも飲む?」
重い心を引きずってホテルのバーに赴く

「フアッションは良かったね」
「パリで仕事していたときあの白いコートほしかったのよ」
「でも買えなかったんだ」
「そう」
「あの女優さんモデルでしょう?」
「着こなし素敵よね」

それにしても不倫映画は重い
「当時女が自立した姿を見せるのは自由恋愛しかないのよね」
ストラヴィンスキーが妻との間で悩んでいるとき
「私は独りで今の地位を築いたのに貴方は弱虫」
とシャネルに罵倒される

「僕の仕事は芸術だが貴方の仕事は洋服屋ではないか」
この言葉には傷つくシャネル
毅然として男を受け付けず
あえて彼の再演に匿名で寄付して溜飲を下げる

誇り高き女としては見事だがーーー

しかし
こういう誇りを持たないと不倫の後始末はあわれだ

不倫は覚悟が居る
クリエイターは
恋愛中にいい仕事をするのではなく
深く傷ついてからいい仕事を完成させる

柔らかな優雅なシャネルスーツ
ストラビンスキーの「春の祭典」
この不倫の後だ

この不倫が真実かどうかは分からないが
暫く一緒には住んでいたらしい

自立した女の先端を行って事業的には大成功
常に誇り高く生きていくのも実際はしんどいかも

凛として可愛くこれが日本の女
チョットずるいかもね
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こけしちゃん

2010年01月18日 11時09分19秒 | 日記
小説を書き上げたと
こけしさんは嬉しそうに電話をよこした
昨年は1回もお会いしていないので
二人きりの新年会

「おめでとうと言うのも今日(15日)までだから」
「だいたい小正月って云うの知らない人多いんじゃあないの?」
「なんで7日までに門松取っちゃうんだろう」
「この前料理屋さんに行ったら水仙の生け方なってなかった」
「12月までは葉っぱが花より長い」
「年が明けたら花のほうが長くて上を向かせる」
「ねえ」
「お正月の火と水のお祈りした?」
「火水でカミかみさまですものね」
「下着も新しいのにするのよ」
「日本はおかしくなっているね」

お酒が回らないうちは社会を憂いていたが
いい気分になったら
いろんな人をこき下ろす
容赦ない
そのいろんな人は一般人ではなく世に名のある人たち

「ああ楽しかったヒサコちゃん今年もよろしく」
「こけしは寅歳なので今年はがんばれー」
彼寅年生まれ、寅月、寅日とそろっていて
「時間は?」
「母がへその緒に書いてあるので後で教える」

とりあえず寅日のお誕生日に
「神楽坂の毘沙門天におまいりしよう」
と言うことになった

男しか愛せない男としての小説が発売される日も近い
こけし良かったね
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70歳以上のサッカー

2010年01月16日 15時27分09秒 | 日記
札幌の呉服店主真木幸三さんから早朝8時
「センセイ今日サッカーの試合に出るので国立競技場までいらしてください」
全国から集まった70歳以上の昔サッカー少年達が試合をする
「赤いユニホームで背番号は66です」

真木さんは札幌で自分のチームを持ち
少年サッカーの監督だ

国立競技場は大江戸線で我が家から20分
美しい青空の下
昔少年、青年、壮年そして今おじいさん達が
ボールを蹴って楽しんでいる

45分が一試合の時間
途中5分の休憩と半分の選手の入れ替えもある
グランドの広さはそのままなので
昔取った杵柄とはいえ
70歳過ぎたら玉を見ているだけでも大変だ

70歳になったばかり
72歳まで
72から73歳まで
73歳から74歳まで
75歳以上

と細かく分かれていて
ユニホームも赤組み白組

真木さんは72歳グループに登場
全員の動きが「蹴鞠」のようで
なかなか優雅
さすがにメタボのおっちゃんはいない

ゴールキーパーは開店休業というテイームもある
そこまでボールがなかなか来ないのだ

真木さんのテイームは上手な人が3人いて
すっきりと点を入れていた

「あの三人の方上手だったわね」
「そうよ昔ワセダで鳴らした人たちだもの」
「真木さん歩いていちゃダメでしょうに」
「フルに走ったらしんじゃうよお」

まるきりスローモーションのような動きだったが
勝ち負けにこだわらず
ただただ好きなサッカーを
この国立競技場でやれるという
少年のようなワクワク感が応援席にも伝播する

応援席も
「あらあら足が届かんわ」
「頭に当たらんな」
「おうおう良く押さえた」
とどちらが点をとっても大きな拍手

要所要所に見所のアル足のプレイなどあって
結構楽しい時間であった

皆が同じ目的に向かって得意技を出し合っている
豊かな感覚で楽しい

暴走している何処かのお役所の面々も
広くて青い美しい空の下で深呼吸してご覧?

男は幾つになっても可愛いところがある
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一生もの

2010年01月15日 09時26分10秒 | 日記
最近巷に安いものが氾濫すると
昔の言葉
「安物買いの銭失い」
と言う言葉がよぎる

しかし
最近の安物は銭失いになりにくいものもある
品質が良くて安いと言うのもある

品質がいいというのは
今ではマーケテイングがなされていると言うこともあり
大量に雑に作るのではなく
頭を働かせていろんな場面でコストを抑えて安くしている

そういう品を見て
なるほど良く考えているな
と思うが手は出ない

ある時期から
一生ものというのを大事にしたいという考えで
物を選んでいる自分に気がつく

そうすると
手間隙かけて作り上げたものに気が行く
例えば桐ダンス
木を十分に乾かした家具
何十もの工程を経て作られた什器

輪島の市中さんの漆器は
どんなに熱いものを中に入れても
外側はひんやりしている

手間のかかったものの王者はきものかもしれない
「喪服」などまさしく一生もの

女子大の卒業式に
「黒地五つ紋付に袴かダークスーツ」
と言うのが卒業式の式服で
母など
「へー粋なことをするおめでたいときに喪服を作れるなんて」
多くの親がそう思ったのか
一人を除いて全員が黒の五つ紋付に袴姿で
皆きりっとしていた

そしてその紋付はいまだに着ている
まさに一生ものだ

こういう一生ものをつくる人、求める人が多くなると
地球は蘇生していい環境になるであろうに
使い捨てはボツボツおさらばにしないと
人まで使い捨ての世の中になってしまう

いやもうなってしまっている
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昨日の続き

2010年01月14日 09時44分36秒 | 日記
その和紙は「月名紙」で
弟の山崎桃麿さんが手漉きで作っている和紙
さらに桃麿さんの和紙は
画家の川合玉堂が好んで使う画紙で
桃麿さんも今は草木染作家だが
この頃は玉堂さんの画紙つくりに励んでいた

そういう由緒アル和紙の中から
「真珠のような」布が顔を見せた
どちらかと言うと南洋真珠のような存在感がアル

「縦糸は紫根で横糸は辛夷にしてみたんだけどーー」
淡々とおっしゃるのだが
此処にいたるまでの色の調合は大変だったと察する

のちにこの真珠のきものを着ているとき
あとを継いでいる長男の山崎和樹さんに偶然お会いした
「この着物知ってますよ、同じものは出来ませんね」

おお嬉しい
と思う反面なんと言う無理なお願いをしたのだろうと
チョット反省

しかしチャコちゃん先生その反省もすぐ消えて
焦がしたような黒を染めてほしいとか
銀杏の新芽のような緑が着たい
などなど口から出放題の希望を放つそばから
きちんと其れを受け止めていただいた

特に新緑の緑の色を見つけたときの喜びは大きかった
「あのね、皆に嫌われているブタクサからねこんなきれいな色出たの」
セイタカアワダチソウと言う雑草から
其れこそ銀杏の新芽のような色が生まれた

美しい緑は昔から一つの植物から出ることはなく
黄色の刈安などに藍を混ぜると言う方法が普通であった
其れが一つの植物から取れるのだから
こんな大発見はない

丁度その頃昭和天皇の誕生日が「緑の日」になると言うことだった
早速毎日新聞の知人に
この緑の発見の話をして緑の日の特集になった

青樹先生は
日本の染織の元を書き留めてある
延喜式から日本の色をその記述通りに染めて
立派な書にまとめてあるが
其れが色を志す人のバイブルになっている

お子さん達もあとを継ぎ
一番の愛弟子山岸幸一さんも
青樹先生の姿勢をきちんと継いだ上でさらに伸びている

いい種をまくことの大切さを知る

通夜の席で
走馬灯のように色んな想いが湧き出て
日本の色を愛し育てたその心を私も継いで行きます
とご霊前で誓った

青樹先生と高崎市が作った
高崎市染料植物園では山崎青樹展が常設されている
あの有名な高崎観音のそば
春になったらいっせいに染料の植物が芽吹く
色の勉強に是非足を運んでほしい
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山崎青樹先生逝く

2010年01月13日 17時43分35秒 | 日記
また一人恩人がーーーー
草木染を日本全国の染織家たちに種植えなさった
山崎青樹先生が亡くなった
享年86歳

チャコちゃん先生はお父様の斌(あきら)さんの
最後の教え子とも言われている

日本の藍が化学染料のインデイゴ一辺倒だった頃
青樹さんが四国に行って藍のすくもを見つけてきた
「見つかりましたよすくもが」
「おおあったか」
と言う興奮気味の親子会話の場に居合わせて
私自身もわけもわからずウキウキしたものだ

そのご藍建てをして植物の藍をずーーーと育てている
親子が同じ目的に向かって進み行く姿を
とても美しいと思った

斌さんは文科系で想像力が旺盛
青樹さんは理科系できちんと組み立て
父の思いを化学を通してに形にする
斌先生がなくなるまで
日本の染の世界に大きな資産をお二人でつくった

あるとき
チャコちゃん先生は青樹先生に
「真珠のような色と輝きのアル紬を作っていただきたい」
と難題を突きつけてしまった
真珠のような色のきものを着たかった

「うーーん」
とおっしゃったきりやるとも出来ないともおっしゃらない
そして一年後
「これ」
と差し出された和紙の中から
「うっ」
と驚く反物が顔を見せた

続きはアス

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さようなら歌舞伎座

2010年01月12日 10時03分52秒 | 日記
さようなら公演
これが最後
と言う催しは満員になる

何でもそう
閉店大売出しで
一年分の売上をするところも多い

今歌舞伎は連日大入り
もちろん常にお正月公演は人気があるが

かくいうチャコちゃん先生も
流行に乗っていざ歌舞伎座へ
お目当ては「勧進帳」
団十郎の弁慶と勘三郎の義経
油の乗った二人を見たい

団十郎には華がある
男の色気がある
まだ海老蔵の頃取材で楽屋に行って
その品のアル男の色気に上がってしまった若い頃

話を聞きながら真冬なのにびっしりと汗をかき
恥ずかしい思いをした
その後何回かお会いしたがいつもその格に圧倒された

その頃の弁慶も助六も勢いがあってよかったが
ヤハリ年を経た今は奥深い弁慶の心が感じられた
勘三郎は哀愁と気品のある義経を演じていたので
二人の陰陽が良かった

日本の古典芸能は
衣装がその表現を示す割合が多い
洋のバレエは体の表現が最も強く求められる

和は身体を鍛えた上で
その上に着る衣装の色や柄素材にいたるまでが表現の素となる

私たちは奥深い文化の中で生活していることを感じた

歌舞伎座には著名な画家の絵がいたるところに飾ってある
吉兆などが入っていて
舌と目を楽しませてくれる

和服姿の女性も多く劇場に花が咲いたよう
しかしその中で梨園の妻はヤハリ着こなしがチト違う
「ここぞ」
と思う演目を見るとき
精一杯お洒落して幕間には吉兆の弁当を頂く

昔おばが連れて行ってくれた芝居見物はこうであった

いまは日常で誰も教えてくれない所作、作法も
歌舞伎の役者達が舞台で見せてくれる
色んな要素を持った舞台が歌舞伎
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三連休

2010年01月09日 10時58分25秒 | 日記
三連休だって!
或る学者が
「バカな政治家がやたら休みを増やし日本をつぶす気らしい」
と彼の著書に書いてあったが
確かに休みが多くて仕事ははかどらないことが多い

セミナーなどを生業にしている方たちには
この休みの多さはプラス
人が集まり易い

公務員など休んでいても収入のある人の考えたことだろうか
それにしても
意味ある休みが少なくなったのが腑に落ちない

1月15日は成人の日
この日小正月で子の成人を祝った
正月行事と続く意味ある日なのだが
今は日曜とくっつけるのが先決していて
毎年成人の日がずれる

意味ないじゃん!
七五三の祝いもそうだ
なにもかも根本をずらしてしまい
何のことか分からん

ただ休めばいいというもんでもあるまいに
日本が経済成長したのは
むやみに休まず生産者は良く働いた
働くことは学ぶことでもある

疲れるから早く帰って休む
家族の団欒も作れる

休みが多いと
遊びが中心になり
その遊びはもっぱら外での遊行になる
外でお金を使うので家に持ち帰るお金が減る

休みは必要
だけど意味ある休みにしてほしい

ところで
今をときめくIさんに頂いた白梅が
今年は蕾が少ない
頂いた年から毎年今頃いい香りを放ち
満開の美しさで鶯まで訪れるほど

蕾の上から
もっと咲いてねと声をかけているが
彼の活躍今年は転換期かもしれない

ま三連休のお陰で
ベランダの花たちともゆっくり話せる
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親子

2010年01月08日 09時45分16秒 | 日記
「あっ其れ親父の色だ」
と竺仙の小川社長
「わかる?」
「分かりますよ、でもそれ40年以上の色留ですよね」
「そう社長がまだ竺仙に入ってない頃のね」
「そういう小紋もう出来ないですよ」
さすが親子父の仕事がちゃんと理解できているんだ

筋小紋の名人浅野さんのところも
息子さんがあとを継ぐ気持ちになったと言う
藍染のところも跡継ぎが出来た
さらにお父さんたちは
皆現代の名工の認定を頂いている

その名工たちが若いときの作品を
わがスタッフたちが身に付けて展示会に
職人達は其れを見てみんな嬉しそう

私達が出来ることは
職人さんたちが出ている展示会に
その職人が作った着物を着ていくこと
そしてお互いの歴史が作られていく

その足で
二子多摩川に去年店を出した
狩谷久美子さんの店を訪ねる
彼女は「東京ますいわや」の創始者の長女

父上がなくなった後
チャコちゃん先生の下で勉強をしていたが
ヤハリ父の血を引いていて「きものふーる」
と言う店をオープン

母親が
「貴方が仕事を持つなんて思わなかったわ」
と驚いているらしいが
ヤハリかえるの子はかえる
きちんと成長をしている

この子チャコちゃん先生のまねっこでも筋金入り
昨日も着ていったコートを見て
「そっくりのを作ってください、全く同じですよ」
と念を入れられた

きものはそっくりに作っても
着る人の雰囲気で全く違う感じになる

広い意味でこういうことも親子関係かもしれない
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色留袖

2010年01月07日 09時57分33秒 | 日記
今は亡き竺仙の会長小川茂男氏と
40年前始めて色留袖のデザインに当たった
チャコちゃん先生側の仲人夫人の色留袖だ

お背が高くきものより洋服を好んでいたが
「貴方が考える色留なら着たい」
とおっしゃってくださったので
力の入りようもすごい

地色の濃い紫と言うのは決まった
注文は
「花や何か優しい柄はちょっとんね」
ということで

花菱を金泥と色金で表現することにしたが
それだけではなんとも寂しい
竺仙のおやっさん(チャコちゃん先生はいつもこう呼んでいた)

「その花菱の下に小紋を金泥で入れようか」
と言う提案で一挙に華やかになった
ラフ図案を持っていってお見せしたら
「さすがいいわねえ」
と一発
「その花菱がいいのでその柄の帯を作りたい」

紗綾型の錦の地紋に
花菱を綾織りで表現
残った布でバックも出来た

その夫人はその色留をお召しになって
5組の仲人をなさったという
さらに何回かの祝賀会にもーー

そして昨年
「思い出の色留貴方にお返しするね」
と頂いた

竺仙のたとうしもいまだ新しく
その中から出てきたときはおやっさんの嬉しそうな顔が
横切った

今日の竺仙展示会にその色留を着てゆく
現社長に威張り散らそうと思う
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