チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

世田谷ぼろ市に行ってきた

2023年01月16日 10時37分56秒 | 日記

なんともまあ恐ろしいほどの人出

日本人よりアジア人の方が目に付く

勿論知ってはいたが生まれて初めて訪れた

世田谷代官通りにこのぼろ市が出来たのは1578年だそうだ

いまや無形民俗文化財になっている

骨董、ゲーム、雑貨、着物、茶道具、照明道具などなど人が必要とするものが格安

今年は700店舗。最盛期は2000舗もあった地う

はじめは「楽市、楽座」を北条氏が作ったのが始まりとか

 

昭和の懐かしい火鉢や塗りの一人盆、大きな花瓶や桐のタンス

骨董は美しいフオㇽムの物が多い

使い勝手がよく長持ちしてさらに美しい

匠の技が日常にもいきていたのだ

 

植木もイイ

元々世田谷は広大な農地があった

世田谷の農家の人がリヤカーで野菜を売りに来ていたころも覚えている

農大の大根踊りも有名

 

人の流れに沿って歩いていると4000歩も歩いていたことに氣がつきびっくり

代官屋敷は江戸時代に立てられたままに残っている国の重要無形文化財

 

「買いたい」と思うものが全くないという心境になっている自分に驚く

物を増やすことをやめたのがもう身に付いているのだ

しかし

山茶花や、椿の苗はほしいなあ

しかし引っ越して庭がない、庭のないうちが多くなった今、植木は売り場が小さくなっていくのであろう。その代わり鉢物の売りば広かっていく

「ボロ」という名前が付いたのは関東大地震の時からだそうだ

古着や古いものを置きそれがひとびとの役にたっていた

いまでいう「フリーマーケット」の走りですな

 

代官餅が超有名だそうだが、人盛りがしていて「並ぶ」「待つ」ことが苦手のチャ子ちゃん先生グループは横目で見ながらスルー

ぼろ市の予習をした感じだった 来年も行こうかな?

 

 

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これってまだ使える

2023年01月14日 08時16分51秒 | 日記

3年間のパンデミックのおかげで、根本的に変わったことが在る

それはチャkちゃん先生だけかもしれないがーー

何もかも小さな生活をするようになったおかげで、逆に大きなものが見えてきた

多くの物を失い、逆にモノの先に見えるものの大きさに気が付いた

 

失ったのはモノや金、得たものは明晰なる智慧と人の愛と新たに構築した人やモノとの信頼関係

物を消費するという心が消えうせた

「これってまだ使える」

「使い切ってみよう」

賢い人は多分ずっとそういう生活をしていたと思う

 

大手出版社に入り、王選手の取材をして、インタビュうー記事を始めて書く日、原稿に文章を書いては気に入らず、くちゃくちゃ丸めて原稿用紙を屑籠にポイっと投げいれていたら、それを目にした野球評論家の「南原」さん(王選手との間を繋いでくださった方)が

「キミなんてことをしてるんだ、この紙が出来上がる工程を考えてごらん、粗末にしちゃあいかん、どんな育ち方したんだ!」

と叱られ

(なでえーこのおっさんこんなことで文句言うの!)

と内心面白くないけど、親を非難されたことに傷つき発奮して、くちゃくちゃした原稿を屑籠から取り出して、綺麗に伸ばし、消しゴムで消して文章を書き換える

そうしたらどういうわけか文章がすらすら書けて、それを南原さんにチェックしていただき、めでたくゴール

 

こういう若き日に受けた苦言がよみがえり、其れから今日までなんて消費が美徳という言葉に踊らされていたかをハンセイ

少し古くなっていても清潔を保っていればまだまだ使えるものは多い

「まだ使える」

60年も前の大人の叱咤が今頃またよみがえるなんて、命を使い切るということが日本人の美徳だったと思いしる

見渡すと、まだ使えるものがいっぱい身の回りにある

 

 

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この人生は自分が書いた設計図通り

2023年01月12日 09時28分52秒 | 日記

占星術というのはすごいね

姉弟のような関係を長年続けている男友達が、沖縄に移住し結婚をした

そのお相手が「白鳥愛」さんという占星術を駆使している方だった。可愛くてとても謙虚

占星術と言えばマドモアゼル愛さんがいらっしゃるし、わが秋桜舎で長年お世話になっていた周藤縁さんがいらっしゃるけど、確り個人的に見ていただいたことはなかった

またオーラソーマを勉強していたころ占星術もその講義の中にあるのだが、左脳に欠乏あるチャ子ちゃん先生はちんぷんかんぷんでスルーしていた。数字が流れるのだ

というわけで常に占星術はそばにありながら、それで自分自身を見るということはなかった。

所が愛さんとzoomでお話ししていたら、そのチャートたるやびっくり、更に驚いたのは、星の意味と動き、私自身がどう言う人生を辿って生きてきたかが、すべてチャートに出ていた。

「キャー驚き」

もがき苦しんだ時期も、何をテーマに生きてきたかも、さらにこれからどこに向かうかも、すべて自分で決めてきたことが明らかになる占星術

「これを自分で勉強をしている方たちは、人生に無駄がないのでしょうねえ」

「いえ、そうはいきません。何もかも通り越して気づくことが多いのが人間ですから」

 

この世に生まれてくること、それはいつどこに、どういう両親のもとに

この世での体験も、食べ物の好き嫌いも何もかも意味ある事象であった

どういう生き方をするかは自分自身が決めてきている。はじめからその流れに乗って生きている人は、最後までルンルンの幸せ道、なかなかいない

それは世の中の掟に縛られるからだ、日月神事に「生まれ赤子の心になれ」という言葉が出てくるが、正しく赤子で無くなったときから、知恵や知識が身に付き情が絡んでがんじがらめとなって、設計図と違う人生を歩んで苦しむことになるのだろ

 

設計図を書き換えること出来るのかしら

設計図は宿命だから、宿命は替えられないと思う

自分で書いた設計図を思い出す方法は、本当に自分がやりたいと思うことを思い出し(みつかり)それに邁進迷わず邁進することでしょうか

納得納得の占星術だった 白鳥愛さんありがとう!

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心の腰に帯をせよ

2023年01月11日 09時55分55秒 | 日記

キリスト教徒に残虐の限りを尽くした「サウロ」があるときから(詳しくは聖書を)改心し「パウロ」と名を変えてキリストのおしえの普及に努める話は新約聖書に出てくる。その中で人々が動揺し右往左往と落ち着かかないとき「心の腰に帯をせよ」と人々に解く

 

衣服に腰帯をつけることは洋の東西を問わず、更には古代衣裳にも帯はどんな形でも存在している

帯を腰に締めるという動作は、心の安定を保つことがすべてと、人類に共通しているということだろう

帯が主役ではなく腰が主役、腰を安定させるには帯が必要であると説いている

他国の民族衣装を見ても帯の役割が非常に高い地位を見せている

日本では帯を締めることは「丹田」に力を注ぐということで、特に男の着物や袴は丹田重視の着付けをしている

「肚が座る」ということは丹田で物を事を考えること

 

少しずつ少しずつ今までの歴史がひっくり返り、信じていたことがすべて反対であったという時が近づいてきた

そういう時人々は慌てふためき騒がしく動き回るか、自分の殻に閉じこもり真実を見ることが出来なくなってただ震えて過ごす人が多くなる

そういう時このペテロの詞「心の腰に帯をせよ」が生きてくる

 

そういえば日本の男たちが着物を着なくなってふにゃふにゃ男が増えてきた。これはやはり帯を締めることによって知る「丹田」のありか、「肚」で考えるという思考の在り方が消えているからだろうか

さらに言えば

成人式ではその帯をアレコレいろんな形に結ぶのがはやっているが、「帯」の役目の本来の姿を伝えられているのであろうか

なぜ人は帯をつけるのか、その答えをペテロは言っている。動揺せず、自分自身にいることの大切さは「心の腰に帯をつける」

日本人は現実にも心にもいつも腰に帯をつけて、自分の軸を守って生きていた(そうありたい)

 

お知らせ

本日20時から「チャコちゅうぶ」お待ちしています

 

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心の視点

2023年01月10日 07時51分29秒 | 日記

あなたは何か行き詰ったときどうしますか?

参考になればー--

何はさておいても外に出る,そして歩く。自然の中を歩く、人ごみの中を歩く、目的もなく電車に乗る、バスに乗る。今の思いの中を見ずに外を見る

高い所に行く、都庁の展望台に行く、東京タワーに上る。高いところで俯瞰してみる、すると地上にいるときと視点が変わる

思いっきりお洒落して最上級のホテルに行きコーヒーとケーキをたのむ、そこで人間ウオッチングをする。帰りはドアボーイに丁寧に送り出されながらタクシーに乗って、見慣れた町を旅行者の目で見ながら帰る

そして行き詰った先のゴールを決める

心の視点が変わるので、簡単にゴールが見える。あの箱根駅伝のようにタスキを受けとる繋ぐ相手がいるゴールをめがけて走る。ゴールは見えているから、わかっているから進みやすい

誰にも相談しない、相談の相手にゴールを決めてもらっても、そこに行くのは自分自身、自分で決めなければ本当のゴールはわからない

朝起きて自分で歯磨きし自分で顔を洗う、其れも起きたときのゴールではないかしらん

ゴールというのはウーーーんと先にあるのではなく、自分でまずはここがゴールと決めればいい

 

アーユルヴェーダ―の勉強をしていた時、蓮村誠医学博士が

「ナカタニさん心はいつも揺らいでいる、心と頭を仲良くさせてはいけないよ」

心は海の波と一緒で高く動いたり、穏やかに静かにしていたり、時々海底にもぐったりしている、海底にじっとしてるのは魂だ、頭はその魂とくっつければ何事もうまくいくようになっている。その学びが瞑想で在ったり、自分自身を愛おしむこと。毎日小さなゴールを決めてそれをクリアしていくと、心の視点が変わっていくので、遠くも見通せるようになり、自分自身を開放出来る

「解放できると自分自身の能力のすごさが分かるんだよね」

と教えてもらった

瞑想はなかなか続かないチャ子ちゃん先生だが、心の視点を変える方法は上記のような感覚が自分に合っていた

人それぞれの立場で心の視点を変えるときが今年なのかもしれない

 

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雪持ち笹の色留め袖

2023年01月09日 11時00分11秒 | 日記

一昨日の初釜には「雪持ち笹」の模様の色留めを着て行った

今朝チャ子ちゃん先生のFBの扉にあげている

この留め袖の模様は、図うずうしくも「皇女和宮さま」の打掛の模様からの写し、速く言えばパクったのだ

芝の増上寺にまだ和宮様の遺品が保管されている時、私は取材に赴き、遺品の数々を見せていただいた。学芸員の方がとても親切で一日がかりで打掛などのきもの、小物の数々、手紙などを鑑賞させてくださった

その中で一目ぼれしたのがこの「雪持ち笹」の打掛、その時はカメラマンと一緒ではなかったんで、後日撮影の許可を頂き、様々撮影して、当時のチャ子ちゃん先生ん仕事場だった「きものサロン」の誌上に発表をさせていただいた

その後小田急デパートで「皇女和宮展」をするという案内を学芸員の方にいただき、件の打掛も出るのかと確認したら「勿論」という答え

喜び勇んで初日に行き、再度当時の竺仙の社長に連絡をとり、職人さんを選んでいただいて一緒にその打掛を鑑賞。そのころはガラスの中に収めているのではなく、現物をそのまま眺めることが出来たので、職人さんは大喜び

私の魂胆は「パクリ」にあるので「良く見てよね」と職人さんに念をおし、社長が「比佐子さんはこうと決めたらしつこいのでね、よろしくね」と苦笑していた

学芸員さんにそっくりそのままではないけど、この打掛を参考に私の色留めを作りたいと申し入れ、快諾を頂き制作に取り掛かった

「生地は絶対繻子よ、刺繍はいらない、すべて染の表現」偉そうに指図する

裏は胴裏は淡い藤紅、八掛は強い紫に金で笹を手描きする、仕立ては袖の丸みを三寸、裾の𧘱には真綿を入れる、そうだ袖口もとうるさいことうるさいこと

竺仙の社長は「また始まった」みたいに苦笑しながらも全てを受け入れて、職人さんたちに指図してくださった

「比佐子さん紋はどうするの?」

「うー-ん」

「家紋だけじゃあ物足りないね」

「そうだ、家紋の周りを雪持ち笹で囲むというのは?」

「五つ紋すべて?」

「ええすべて」

と出来上がった大好きな色留め袖、40年も前になる

 

 

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正露丸はすごいね

2023年01月08日 10時47分40秒 | 日記

子供のころからある薬ってバカにできない

つけ薬にはキップパイロール、これは火傷、擦り傷、ひびあかぎれ、唇の荒れに万能、先日二年ぶりに購入したら入れ物が小さくなっていて驚いた。

運動会のとき、だれが考え出したのかメンソレタームを足に塗ると足が軽くなって速く走れるといって、徒競走の時は其れのにおいがプンプンしていた

風邪には葛根湯、便秘には大草丸そして食べすぎは正露丸

これらは古くからある薬で、だれでも一回はお世話になっているのでは

 

海外旅行がまだ珍しい頃、「正露丸」は海外旅行の常備薬、海外は水がよくない、食べ物が脂っぽい、時間が不規則になる。などの注意があり、旅行社ですら持ち物のランクに正露丸が入っていた

 

風邪をひいても、熱が出ても、食べすぎても、睡眠不足になっても正露丸(笑)ラッパのマークがおなじみで、日露戦争時「ロシアをやっつけるためには全員腸を丈夫にする」ということで作られたのだという人もいた。本当のところはチャ子ちゃん先生は知らない

 

その後いろんなサプリメントが出てきて、正露丸のことは忘れていたし、ここ40年薬に縁のない生活をしていたので、薬局にどういう薬が売られているのかもチェックしていなかった

 

ある筋から「正露丸がコロナに効く」という情報が入り、しかもご丁寧に「かかった瞬間はイベルメクチン、しかしかかって熱や下痢が収まらない時は正露丸」という。コロナに縁のない私なので「ふーん」と聞いていた

 

あるとき友人の娘がコロナに罹りイベルメクチンを持っていないかと連絡があった、手元になかったので「無責任と思うけど○○〇大学の先生がコロナには正露丸が効くという研究発表をしたみたい、私は読んでいないけど飲んでみたら?」

なんと!一発で正常になったそうな

すごいじゃん。と思ってよく効能を読むと当たり前だわ「腸を整える」薬なんだわね、風邪はすべて腸の劣化が原因なのでさもありなん

 

そして昨日

初釜に招待を受けたのだが朝から鼻水が止まらない、ずるずるしていてずるずるお茶を飲むのもどうかと思い辞退の連絡を入れたら、お相手の先生が残念がっていたので、では私も正露丸でも飲んでみようと飲んだら

すごい!

鼻水がぴたりと止まった

それですぐ連絡を入れお薄の時間に間に合うように出席で来た

正露丸おそるべし

 

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今年は「7」という数字

2023年01月07日 11時01分30秒 | 日記

量子力学では「7」という数字を尊ぶ

7は循環数字

私達の世の中は「循環」が滞っている

母たちの時代はモノはいかに循環させて使い切るかということが当たり前だった

ごみを出さないことが主婦の知恵だったのだ

しかし消費が美徳と踊らされていた娘たちは、母親たちの節約精神を「ケチ、貧乏くさい」と疎んじていた

 

循環は尊い

ベンが出てありがとう、咳が出てありがとう、熱が出てありがとう

体の循環も余分なものは出していくことで、体の組織の平和をたもっている

江戸時代はあらゆることがいい循環を遂げていた。だから300年近く争いのない平和な時代が保てたのであろう

 

ドラマや小説はあえて「悪くて不満なところ」をピックアップして書いたり演じたりしている。それはシルクの「野麦峠の」の話と同じで、いい面を見る目を私達は閉ざされていたようだ

ある時

「新聞や週刊誌はどうしてあんなに人の悪口ばかりを特集するのかしら、そういう記事を書いている人たちは絶対性格が悪くなるわね」

とはなしたら

「人間は人の不幸を喜ぶもんなんだ!」一蹴されたことが在る

それでチャ子ちゃん先生は発奮して、いい記事を名入りで書いたりしている人たちには、激励の手紙を送ったりした。そのことがいい循環を呼んで、今度はそういう記者から私に原稿依頼が来たりしたこともある。

 

とにかく今年は循環の年、体の循環から始まって、物、金、人の循環が始まる

いい世の中になるね

八宅風水では7は創造の数字、喜びの数字だ何はともあれ大きな変化が来るが、循環できることを考えればすべては悦びに向かうということだな

 

 

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紅花の寒染め

2023年01月06日 11時33分25秒 | 日記

昔から紅花と紫根染は小寒の声を聞いて染はじめると聞いていた

しかし

紅花に限らず、多くの植物染がエキスや粉末で染められるようになって、わざわざ小寒を過ぎた冷たい水で染める人は少なくなった。米沢に住む山岸幸一さんは中でも数少ない寒染めを常に実行をしている

 

日本風俗史学会に所属していたチャ子ちゃん先生は、入会して一番初めの遠出の研修会が、米沢の紅花摘みであった

8月初旬北の国の夏は太陽が燦燦で風は気持ちがいいが暑いことこの上なし、そのころすでに着物生活をしていたので、一人だけ日傘をさし優雅に花摘みをしていて、先輩たちの冷たい目にさらされていた

先輩たちはそれぞれの大学の研究生だったり、化粧品会社の研究員だったりするので、教養もあり、あからさまな嫌味は言わないが、何となく態度に出てくるのが面白い

 

チャ子ちゃん先生はその何年か前ある取材先で「あの人はいつも洋服着て取材に来ているけど、着物のことはお分かりになるんかねえ」と織子さんたちの陰口をきいた時から「よし1年365日着物で過ごし、その着物を着た姿を彼女たちに見せて安心していただくんだ」と固く決心をしているので、少々の冷たい目や、嫌味な言葉は気にしない

さて花摘みが終わり、紅花餅を作る現場も学んで、それが紅になったり、口紅の材料に、また毛細血管を刺激して血流を促す漢方薬としての働きまでを理解する一日目が終わり、次は姫君たちの着物を彩った紅花染を研修することになり、山岸さんの工房へ伺った

「夏は紅花染は致しません、しかし染めたものはお見せします」

と言って紅花染の振り袖や、下着を見せてくださった。その仕事場には山崎青樹さんの本が並んでいた

「山崎さんをご存じなのですか?」

「ええ師と仰いでいます」

「私はお父さんの山崎斌さんに出会って、着物の道に入ったのです」

ということで一気に二人の距離が埋まり、翌年の寒染めを見せていただくという約束を取り付けて帰った

 

其れから5年毎年小寒の前日に米沢に入り、私だけがこたつに入って、夜中に染める寒染めを見続けてきた

小寒が来ると、染めた糸が周囲の雪景色の中で燦然と輝ていた景色を思い出す

 

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割る、落とす、忘れる

2023年01月05日 09時29分04秒 | 日記

お正月の花を生けようとしていたのに、花瓶に躓き割ってしまった

神棚のお榊の水を入れ替えるために塗りのお盆で運ぼうとしたらすべりおちて割った

その水が絨毯を濡らし、朝から大慌て

氏神様に初詣にいき、その時柏手打つときに外した手袋をポケットに突っ込んだつもりが落としてしまった

友とランチの約束をしていて、ホテルに約束より早く着き、ロビーの椅子に掛けてスマホをチェックしていたが、その時帽子を脱いでバックに入れたつもりが入っていなかった

 

全ての失敗は「チョイ間」の心の留守

「今ニンジン食べている」「今ご飯食べている」「今おさかな食べている」とちゃんと確認して、食べることに集中しなさい。と子供の頃よく言われていたなあ、一つのことをするのに別の思いが入っていると、こういう失敗をする

「考えること多いからなあ」

と自分自身を甘く許しているチャ子ちゃん先生

 

しかしこういう失敗でいいこともある

かねて絨毯を洗わなければと思っていたのだが、それが延び延びになっていた。花瓶が割れ水浸しになったことで、否応にも洗わなければならない。午前中はその後始末が出来、おかげで絨毯がきれいになった。

また絨毯の下の廊下も隅々まできれいになった。めでたしめでたし

割れた花瓶は、実はその花瓶に飽きていて「買い換えたいなあ、でもまだ使えるし」という思いがあり、花瓶がそれを察して割れてくれたのかと思う(ノー天気)

 

しかしお榊の花瓶は「心を集中せよ」と神様のご注意、これは真摯に受け止めている

さて手袋の行方は神社の社務所に預けられていたし、帽子も座っていたロビーの椅子の背に置かれていた。二つも帰ってきてくれてこちらもめでたし

 

食事のあと、友は新宿のデパートで帽子を洗面所に置き忘れたのだそうな、「何か頭がスース―するなと思い帽子をかぶっていないことに気が付いて、洗面所に戻ったら、どなたかがちゃんと鏡の前においてくださっていた」と連絡があった

「お互い頭の切り替えが必要」と言われているのよねッと納得

これからの大変化に、今あることに心を向けて、丁寧に過ごすことの「ご注意」を頂いた一日だった

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