雑誌の文章は事実を伝えるということが肝心
きものを中心のページを作ることになったとき、カラーページで着物の説明をしていてもちっとも面白くない
カラーの写真はもう目に映ることそのものであって、柄の説明やなぜ今この着物を着るのかというTPOが中心になる
きものに全く興味がなかったので、いちいち先輩に聞く、うるさがられるので図書館に行って調べる。柄にはいろんな意味合いがあることを知る。だからと言って「それがなによ」と思ってしまうので、ページつくりに熱が入らない。
撮影の現場では、そのころ本仕立ての着物を着るということはなく、仮仕立てで背中がいている、つまり襟肩あきを縫っていないきものを着せるのだから、着せるほうも着る方も大変だ、帯ももちろん縫っていない、折り筋が付かないように、折り目に真綿を入れて、胴に回し、後ろは洗濯ばさみを使って落ちないように固定する。撮影が終わったらアイロンをかけ、借りた問屋やメーカーに返すのだ
モデルは動けない、前を向いて、手もあまり動かせない、顔の表情と、足の動きで裾の美しさを出す。そうすると当然美しい顔の女優さんでないと絵にならない。
当時の女優さんは美しかった大体ご自分でメイクをし、髪型だけを専門家に依頼する。その当時ヘアー係は結髪やさんと呼んでいた。着付けは前の襟あわせ、裾の合わせは女優さんがするので、後ろのごちゃごちゃは編集の先輩が整える
当時の女優さんは映画ではほとんどきものを着ることが多いので、自分で襟合わせをしたい人が多かった。また日本舞踊などで所作を心得ているから体の動かし方もきれいだった
撮影をするカメラマンも「婦人科」といわれる秋山庄太郎、河合肇、早田雄二さんなど映画雑誌で女優、男優を撮る人たちだったので、女優さんたちとの息もあい、撮影現場は和気あいあい、ぺいぺい編集者のチャ子ちゃん先生の仕事は、撮影者の脇に立って、半襟が左右均等に出ているか、腰に布のたるみがないか、袖がよじれていないかなどを直す役
きものの名称もこの時自然に覚えていった