山崎斌さんは、明治の末の始まった化学染料の急激な普及に対して、それまでの植物染料の実態が消えていくことを憂いた
輸入されたばかりの化学染料は、まだ未知数なところがあり、きちんと計算が立って、毎回同じ色が染まるという技術になってはいなかった
それだけに植物染料との手順の違いだけが染をする人にとって、簡単に色が染まることの喜びが強かったのだと思う
その喜びが色に移り鮮明な今でいうビビットな色に多くの人が喜び勇んだ
だが
それを見ている山崎斌さんは、日本の植物染料での色合いが消えていくことに危惧を抱き、平安時代にまとめられた染織方法を実現し、自然を壊さない自然からいただく色の再生を試みたのだ
化学染料との違いを表すために、植物染料で染めた色を、技術を「草木染」という名前にして商標登録をした
今では「草木染」という名前は一般的になっていて、誰でもが使える商標だ
これは山崎斌さんのご長男「山埼青樹」さんが、商標の権利を放棄し、「みんなで使う名前にしたらいい」ということにしたいきさつがある
「一子相伝」という伝統の思考を山崎家はかなぐり捨て、みんなで美しい色を追求したいという思いを広げた
それもあって、草木染を生業にしている人は多い
化学染料も日本人の智慧が結集され、誰が染めても確実に同じ色が出るという段階になっている。植物染料により近い色も出せる
がしかし、自然が醸し出す色の波動においては、草木染にかなうものはない。これはきものを身に着けているとより鮮明に体が反応するのでわかる。つまり細胞が喜び元気になる
そして植物はきものやその他の染織によって、自分の命を再び生かすことにもなっていく。これが延々と続いた日本人の智慧なのだ