1年前に発刊されていた夏川草介さんの著「神様のカルテ」シリーズの最新作、「神様のカルテ0」をようやく読みました。
すでに刊行されている1~3巻で描かれた話の何年か前に遡って、主人公の栗原一止が医学生の頃の話や、本庄病院で働き始めた研修医頃の話など、4つの作品が書かれています。
作中にある、この一文が、特に心に残りました。
「人間には神様の書いたカルテがある、医者は無力だ」
そして、いくら無力でもできることはある、とも書かれてあります。
著者の夏川さんは、タイトルに「神様のカルテ」と付けた理由を、インタビューの中で語られています。
『人間がどんなにがんばっても、神様は人間の命に対して決めているものがあるし、人の期待に対して応えてくれる存在ではない。神様に対する面当てぐらいの皮肉なイメージで僕は「神様のカルテ」という題名をつけているんですね』
私は医者ではないけれど、鍼灸師として医療のすみっこにいても、無力感を感じることがあります。
2年ほど前に末期がんの患者さんを治療していた頃は、毎日自分の無力さをを痛感しながらも、それでも何ができるかを模索し続けていました。それには正解はなかったと思いますが、悔いの残らないよう精一杯治療しました。
亡くなられた患者さんがどう思っていたのか、今となっては分かりません。仮に聞いても、いつも優しく気遣ってくださる方だったので、ご自身の気持ちにそっと蓋をして、本当の気持ちを言っていただけなかったかもしれません。
私の独りよがりだったかもしれませんが、そういった状況でも私たち医療者は、今できる最善のことを考えて行うことしかできないし、それが最も大切なことではないかと思いました。
人間の一生が「神様のカルテ」に書かれていて、いつ亡くなるかがたとえ決まっていたとしても、それでも医療に携わる私は精一杯の治療をしていきたいです。
すでに刊行されている1~3巻で描かれた話の何年か前に遡って、主人公の栗原一止が医学生の頃の話や、本庄病院で働き始めた研修医頃の話など、4つの作品が書かれています。
作中にある、この一文が、特に心に残りました。
「人間には神様の書いたカルテがある、医者は無力だ」
そして、いくら無力でもできることはある、とも書かれてあります。
著者の夏川さんは、タイトルに「神様のカルテ」と付けた理由を、インタビューの中で語られています。
『人間がどんなにがんばっても、神様は人間の命に対して決めているものがあるし、人の期待に対して応えてくれる存在ではない。神様に対する面当てぐらいの皮肉なイメージで僕は「神様のカルテ」という題名をつけているんですね』
私は医者ではないけれど、鍼灸師として医療のすみっこにいても、無力感を感じることがあります。
2年ほど前に末期がんの患者さんを治療していた頃は、毎日自分の無力さをを痛感しながらも、それでも何ができるかを模索し続けていました。それには正解はなかったと思いますが、悔いの残らないよう精一杯治療しました。
亡くなられた患者さんがどう思っていたのか、今となっては分かりません。仮に聞いても、いつも優しく気遣ってくださる方だったので、ご自身の気持ちにそっと蓋をして、本当の気持ちを言っていただけなかったかもしれません。
私の独りよがりだったかもしれませんが、そういった状況でも私たち医療者は、今できる最善のことを考えて行うことしかできないし、それが最も大切なことではないかと思いました。
人間の一生が「神様のカルテ」に書かれていて、いつ亡くなるかがたとえ決まっていたとしても、それでも医療に携わる私は精一杯の治療をしていきたいです。