河合敦著の歴史書の中に、110年程前(明治23年)に来日した ラフカディオ・ハ-ン、後に帰化し「小泉八雲」に関する記述があり ます。彼は非常に日本を愛した。但し彼の愛した日本は、西洋文 明の影響を受ける以前の風土であり、その民族性の心情であった ようです。彼の著書『日本人の微笑』という小論にそのことが見て 取れる。「(日本人は)自分のことは決して語らず、個人的なことを いろいろ訊かれても、感謝のしるしにていねいに頭を下げて、でき るだけあいまいに手短に答える。・・・・相手について聞いたことは 決して忘れない・・・・不快なことや、苦痛なことには決して触れな い」「人生の喜びは、・・・・無私と忍従をつちかうことにあるという 真理を、日本人ほどひろく理解している民族はあるまい。そんなわ けで、日本の社会では、嫌味や皮肉や残酷なしゃれなどは通用し ない。洗練された生活にそういうものは存在しない、・・・・個人の 欠点は、嘲笑や非難の対象とならない」。これが百年ほど前、ハ- ンが愛した日本人の性向である。この好ましい日本人というものが、 次第に浸透しつつある西洋文明によって蹂躙されてしまうことを、 ハ-ンは深く憂いた。
西洋文明は一見魅力的にみえる。ハ-ンの警告は徒労におわっ た。見事に日本人は西洋化した。かって『日本人の微笑』のなか で出てきた全く逆のタイプが現代の主流を占めるようになった。 ハ-ンは『日本人の微笑』を以下のようにしめくくっている。 「いつの日か、必ず日本が振り返って見るときがあるだろう。素朴 な歓びを受け入れる能力の忘却を、純粋な生の悦びに対する感覚 の喪失を、はるか昔の自然との愛すべき聖なる親しみを、また、 それを反映している今は滅んだ驚くべき芸術を、悲しむようになる だろう。かつて世界がいかにはるかに明るく美しく思えたかを思い 出すであろう。古風な忍耐と献身、昔ながらの礼儀、古い信仰の もつ人間的な詩情・・・・こうしたいろいろなものを思い悲しむであろ う」。見事なハ-ンの未来予想である。バブルの崩壊を体験した日 本人は、経済的豊かさが決して幸福につながらないことに、そして 二十世紀に日本人が失ったものの大きさに、ようやく気づきはじめ たようにみえる。それは地方のもつ独自の環境や風土に適合した、 環境破壊のない自然に融合した産業の構築である。埋蔵された資 源の流失から、その環境を生かした循環型の産業の開発え、付加 価値のともなった物づくりへの移行。都会の収入増とそれにともなう 支出増環境が、地方の心情的濃密なコミュニケ-ションの生活基 盤との格差は、当然存在して然るべきはずである。今日では、地域 密着型の文化を世界に発信するパフォ-マンスの到来が、地方の 人々を画位置的でないワクワク感に浸透させつつある流れは、幾多 の変遷を得て、時空をこえて、開花する予感を感じます。日本人の 文化を継承した、地方の時代の到来を!!