きままなドライブと写真、そして映画

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遥か遠い昔 子供の頃

2019-05-08 00:46:01 | Weblog

子供の頃、この航空地図のほとんどが田圃だった。
三宅小学校隣接地の①で生まれ育ち、小学校五年生まで住んだ。
博多織工場の一画に住み、物心ついた時から博多帯に囲まれた環境で育った。
一面の田圃の中に、小川のような農業用水路が幾筋も走り、魚が釣れた。
夏には平家ボタルが飛んだ。
たまに田圃の中を走るイタチを見かけた。

小学校五年生の時に②に移り住んだ。
自宅の裏手から那珂川までは田圃しかなく、自宅から水泳パンツ姿で那珂川に泳ぎに行った。
自宅が面している道路は舗装されておらず、時々路線バスのタイヤが砂利を飛ばして玄関のガラスが割れることがあった。
道路を挟んだ斜め向かいは同級生の農家で、馬か牛かを飼っていた。
当時は道を歩く時、馬か牛の糞に気を付けて歩かなければならなかった。
田圃に水が入る季節の夜になると、食用ガエルが大きな声で鳴いていた。
夏は蚊帳を吊って寝た。
炊事は竃か七輪。
風呂は五右衛門風呂。
路線バスには女性の車掌さんがいた。

 

②の自宅で父の葬儀を行った。
その時、僕は新宿支店勤務で、初めて部下を持つ役職につき、張り切っていた。
子供達はまだ幼く、息子は幼稚園で腕を骨折してギブスをしていた。
葬儀のあと、子供二人を連れて、まだ残っていた田圃の中を歩いて那珂川まで行ったのを思い出す。
その後の東京勤務のどこかの時点で、片道2車線への道路拡幅により自宅は道路になり、一部はコンビニの敷地になって、今や当時の面影は跡形もない。
庭に埋めた愛犬クマの遺骸はどうなったんだろうとふと思う。

田圃しかなかったところが、これだけの住宅密集地になっていることは、福岡市の著しい人口増加を物語っている。
福岡市は人口増加が経済的な下支えとなり、都市としての発展の原動力になってきたに違いない。
しかし、その反面、昔あった、排他性のない馴染みやすい風情や他人への思いやりが希薄になっていき、自分中心のギスギスした雰囲気が蔓延してきているのではないか。
すぐクラクションを鳴らすとか道路での譲り合い精神の欠如など、福岡に来て痛感する運転マナーの酷さに、そんなことを思ったりする。

昔の面影をしのばせるものもなく、まるで知らない土地のようになってしまったこの地域を、今はメタボ対策で日々ウォーキングしている。
和田宝満神社から母校である三宅小学校、三宅中学を経由し、那珂川沿いに帰れば、ほぼ一万歩。

三宅小学校のすぐ傍に同級生の家があった。
世に出たばかりの電気洗濯機なるものを彼の家が買ったというので、どんなものか、みんなでぞろぞろと見に行った記憶がある。
洗濯物の水分を絞り出す手回しのローラーが付いていた。
今は宗教団体の建物が建っている、かつての彼の家の前を通るたびにそのことを思い出す。


僕が子供の頃の航空写真がこれ。




今やジジイとなってしまった僕にも子供の頃があったのだ。












コメント (2)
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