お昼ごはんの後、全日校運動会の最大の見せ場、赤白に分かれての大応援合戦。毎年、この応援合戦を保護者は見て、その団結力の結集に感動する。毎年、文化祭の中学部のソーランとともに保護者泣かせの大応援合戦が繰り広げられる。
うちが初めてこの運動会を見た2003年、6月、中学生の応援団長の声の大きさ、みんなをぐいぐい引っ張っていく統率力に驚き、その応援の台詞が頭から離れなかったほどのインパクトがあった。その年だったか、次の年だったか、そのリーダーシップでみんなから信頼された女子の応援団長がいた。当時上の息子は小学2年か3年で、息子の同じクラスの小学部の子供たちも、その女団長に憧れ、手紙をみんな白組赤組各団長に書き、全員が団長から丁寧な返事をもらうというドラマもあった。そう、応援団長とはみんなのアイドル、憧れの的。息子は、最初に団長を見て、強い衝撃を感じ、彼らに憧れ、ソーランを踊るとともに、いつの日か団長になるのが夢だとよく語っていたものだ。(ソーランを踊る夢は去年果たしたが)そんな風にいつも全日校の運動会や文化祭は、先生と生徒たちの間で、さまざまなドラマが生まれる。
今年は、うちの息子が白組の応援団に立候補し、私たちもその晴れの姿を見るのを楽しみにしていた。団長を補佐して、白組みんなをまとめていくという重要な任務。毎日休み時間に練習で声をからして、3週間相当忙しかったようだ。野球の試合もあったので、よく体力が持ったと思う。まあ、体力がこの運動会の練習でついたので、野球の自分のプレーにもいい影響があったのかもしれない。事実、運動会の次の日の試合は、最終回クローザーとして最高の速球のピッチングで3者三振に打ち取ったらしい。
息子の話では、団長が全部振りを考えて、踊りを覚えていったという。いったいどんな踊りなのだろう・・・
赤組は、赤一色で、みんなきらびやかな衣装で、華やかな踊りをみんなに披露。みんなまとまっている。団長は、赤組団長の印、赤い派手なハットをかぶり、応援団みんなを従え、体をのけぞって、大声で、みんなを扇動している。本当にカッコいい団長!
白組は、最初は、おなじみの「チューチュートレイン」の音楽に乗せて、なんとうちの息子がヒップホップ系のいまどきの踊りをうまくこなしている。女子の副団長がその振りを考えたというが、踊りのセンスの良さが光る。ジャンプしてのけぞるのも体が柔らかいので、決まっているではないか!去年、ソーランも人一倍早く覚えた息子。もしかして、踊るのがうまいのでは・・・と思わせるほど。(親ばかですね)
そして、いよいよ団長を先頭に息子の学ラン姿の日本のテレビで見るような日本固有の応援の舞が始まる。腰を落として、武道に挑むような体勢で、中3団長を前に中2の息子と中1の男子3人が縦に並び、最後の列の横に小5と小6の男子が1人づつ横につき、5人が一斉に舞う。見事に5人の手足の動きが決まっている。このような本格的な硬派の応援を披露するのを見たのは、2002年から見ていて、今回が初めて。シカゴの地で、日本独自のものを見せるというゾクゾクする瞬間。日本人学校内でとどめておくのがもったいないほどだ。
ここの中学部では、制服がないので、初めて見る息子のりりしい学ラン姿とそのきびきびした動きに母は感動!団長がめちゃくちゃカッコいいのは、当然だが、息子もぴたっと団長の鋭い動きに呼応している。なんと、この舞は、白組団長が日本の高校の応援団の動きをユーチューブで研究して、時間をかけて独自に創りあげた大作だそうだ。後日談だが、赤組の担当の先生は、その動きに度肝を抜かれ、「やられた!」と思ったという。かつて帰国した友達が、団長を経験した子供たちは、「団長!団長!」とみんなから慕われ、みんなの団結力をまとめあげたそのときの貴重な経験をもとに、強い自信を胸にその後の学校生活に生かしていくという。きっと受験勉強を乗り越えて、日本での高校生活でもそのリーダーシップを発揮して、活躍していくことだろう。
息子は、応援合戦までの道のりを作文にこう記している。
<略>
7度目の運動会で、初の応援団だったが、ここまでキツイとは、正直思っていなかった。当日のみならず、事前の練習もまたきつかった。3週間前から休み時間はゼロ。踊り、歌、配置等を頭に叩き込み、完璧になるよう仕上げていく。そして白組の他の人の前で手本として見せる。肉体的にも、精神的にも、恐ろしく疲れた。
そして当日は、全ての競技で、前に出て応援し、全体の気配りをし、注意などの声をかける。そして応援合戦。白組全員の配置確認を他の団員として、始まれば前で踊って、終わったら暑い中、学ランに着替え、そのまま歌い踊って、さらに僕は中2ということもあり、忙しい団長の代わりに、副団長を助け、色々指示もださねばならず、ものすごい暑い学ランで駆けずり回った。
だが、そんな中で、とても充足感が湧いてきた。皆の前で、先頭に立って、団長、副団長を補佐し、白組全体をまとめていく。多少の誇張はあるが、そういう気持ちになれた。またそれらの責務を完璧に果たせたこともあり、応援団に入って本当によかったと思う。<略>
この作文を読んで、「そんなに大変だったのか・・・」と驚き、運動会前に一言も文句を言わず、家では淡々と過ごし、野球の試合や練習もこなしていた息子を「あっぱれ!」と心の中でほめた。本当に本当にかっこよかったよ!他の子供たちの親たちもおそらく私と同じ気持ちであろう。燃焼!まさにこの言葉がぴったりの運動会での子供たち。
ここまでの白組赤組の素晴らしい応援を繰り広げられるまでの2週間の練習と3週間前から始まる中学部での綿密な下準備がすごいらしい。勉強もきちんとこなし、ここまでの大きな密なイベントをこなす先生方の驚異の手腕とそれに黙々と一致団結して前向きに従う素直な子供たち。
息子の担任の先生が、「応援団員として白組をグイグイ引っ張ってくれました。また、騎馬戦での活躍を一歩ノート(クラスの宿題として毎日自主学習をこのノートにやる)や本人からの話を聞き思い出に残る運動会になったと改めて感じているところです。この運動会を通して、大きく成長してくれました。」と感激のコメントをくださった。
さて、その後の赤白両方の勝負の行方はどうなっていくのだろうか。 ~続く~
うちが初めてこの運動会を見た2003年、6月、中学生の応援団長の声の大きさ、みんなをぐいぐい引っ張っていく統率力に驚き、その応援の台詞が頭から離れなかったほどのインパクトがあった。その年だったか、次の年だったか、そのリーダーシップでみんなから信頼された女子の応援団長がいた。当時上の息子は小学2年か3年で、息子の同じクラスの小学部の子供たちも、その女団長に憧れ、手紙をみんな白組赤組各団長に書き、全員が団長から丁寧な返事をもらうというドラマもあった。そう、応援団長とはみんなのアイドル、憧れの的。息子は、最初に団長を見て、強い衝撃を感じ、彼らに憧れ、ソーランを踊るとともに、いつの日か団長になるのが夢だとよく語っていたものだ。(ソーランを踊る夢は去年果たしたが)そんな風にいつも全日校の運動会や文化祭は、先生と生徒たちの間で、さまざまなドラマが生まれる。
今年は、うちの息子が白組の応援団に立候補し、私たちもその晴れの姿を見るのを楽しみにしていた。団長を補佐して、白組みんなをまとめていくという重要な任務。毎日休み時間に練習で声をからして、3週間相当忙しかったようだ。野球の試合もあったので、よく体力が持ったと思う。まあ、体力がこの運動会の練習でついたので、野球の自分のプレーにもいい影響があったのかもしれない。事実、運動会の次の日の試合は、最終回クローザーとして最高の速球のピッチングで3者三振に打ち取ったらしい。
息子の話では、団長が全部振りを考えて、踊りを覚えていったという。いったいどんな踊りなのだろう・・・
赤組は、赤一色で、みんなきらびやかな衣装で、華やかな踊りをみんなに披露。みんなまとまっている。団長は、赤組団長の印、赤い派手なハットをかぶり、応援団みんなを従え、体をのけぞって、大声で、みんなを扇動している。本当にカッコいい団長!
白組は、最初は、おなじみの「チューチュートレイン」の音楽に乗せて、なんとうちの息子がヒップホップ系のいまどきの踊りをうまくこなしている。女子の副団長がその振りを考えたというが、踊りのセンスの良さが光る。ジャンプしてのけぞるのも体が柔らかいので、決まっているではないか!去年、ソーランも人一倍早く覚えた息子。もしかして、踊るのがうまいのでは・・・と思わせるほど。(親ばかですね)
そして、いよいよ団長を先頭に息子の学ラン姿の日本のテレビで見るような日本固有の応援の舞が始まる。腰を落として、武道に挑むような体勢で、中3団長を前に中2の息子と中1の男子3人が縦に並び、最後の列の横に小5と小6の男子が1人づつ横につき、5人が一斉に舞う。見事に5人の手足の動きが決まっている。このような本格的な硬派の応援を披露するのを見たのは、2002年から見ていて、今回が初めて。シカゴの地で、日本独自のものを見せるというゾクゾクする瞬間。日本人学校内でとどめておくのがもったいないほどだ。
ここの中学部では、制服がないので、初めて見る息子のりりしい学ラン姿とそのきびきびした動きに母は感動!団長がめちゃくちゃカッコいいのは、当然だが、息子もぴたっと団長の鋭い動きに呼応している。なんと、この舞は、白組団長が日本の高校の応援団の動きをユーチューブで研究して、時間をかけて独自に創りあげた大作だそうだ。後日談だが、赤組の担当の先生は、その動きに度肝を抜かれ、「やられた!」と思ったという。かつて帰国した友達が、団長を経験した子供たちは、「団長!団長!」とみんなから慕われ、みんなの団結力をまとめあげたそのときの貴重な経験をもとに、強い自信を胸にその後の学校生活に生かしていくという。きっと受験勉強を乗り越えて、日本での高校生活でもそのリーダーシップを発揮して、活躍していくことだろう。
息子は、応援合戦までの道のりを作文にこう記している。
<略>
7度目の運動会で、初の応援団だったが、ここまでキツイとは、正直思っていなかった。当日のみならず、事前の練習もまたきつかった。3週間前から休み時間はゼロ。踊り、歌、配置等を頭に叩き込み、完璧になるよう仕上げていく。そして白組の他の人の前で手本として見せる。肉体的にも、精神的にも、恐ろしく疲れた。
そして当日は、全ての競技で、前に出て応援し、全体の気配りをし、注意などの声をかける。そして応援合戦。白組全員の配置確認を他の団員として、始まれば前で踊って、終わったら暑い中、学ランに着替え、そのまま歌い踊って、さらに僕は中2ということもあり、忙しい団長の代わりに、副団長を助け、色々指示もださねばならず、ものすごい暑い学ランで駆けずり回った。
だが、そんな中で、とても充足感が湧いてきた。皆の前で、先頭に立って、団長、副団長を補佐し、白組全体をまとめていく。多少の誇張はあるが、そういう気持ちになれた。またそれらの責務を完璧に果たせたこともあり、応援団に入って本当によかったと思う。<略>
この作文を読んで、「そんなに大変だったのか・・・」と驚き、運動会前に一言も文句を言わず、家では淡々と過ごし、野球の試合や練習もこなしていた息子を「あっぱれ!」と心の中でほめた。本当に本当にかっこよかったよ!他の子供たちの親たちもおそらく私と同じ気持ちであろう。燃焼!まさにこの言葉がぴったりの運動会での子供たち。
ここまでの白組赤組の素晴らしい応援を繰り広げられるまでの2週間の練習と3週間前から始まる中学部での綿密な下準備がすごいらしい。勉強もきちんとこなし、ここまでの大きな密なイベントをこなす先生方の驚異の手腕とそれに黙々と一致団結して前向きに従う素直な子供たち。
息子の担任の先生が、「応援団員として白組をグイグイ引っ張ってくれました。また、騎馬戦での活躍を一歩ノート(クラスの宿題として毎日自主学習をこのノートにやる)や本人からの話を聞き思い出に残る運動会になったと改めて感じているところです。この運動会を通して、大きく成長してくれました。」と感激のコメントをくださった。
さて、その後の赤白両方の勝負の行方はどうなっていくのだろうか。 ~続く~