ついにシカゴの夏の風物詩、ブルースフェスティバルを目撃!今まで何年もシカゴにいて、子供たちの雑事でいつも逃していたシカゴ一大イベント。なんたって、ブルースの町シカゴなわけで、これを見なくて何を見ようぞ!
初日の木曜日、アメリカの音楽事情に詳しく、何回もブルースフェスティバルに来ているシンガー兼ライター仲間のしょうこさんをまず誘い、音楽好きの友達3人を引き連れて、メトラでダウンタウンへ向かう。アーリントン・ハイツから乗ったメトラは、ブルースフェスティバルに向かう人々で込んでいる。
アート・インスティチュートのライオン像の前で、しょうこさん(下の写真右から2番目)と落ち合い、一同グランドパークをめざす。入り口のゲートの前で記念撮影。
私たちのお目当ては、勿論、シカゴのブルースシーンで活躍する日本人ギタリスト菊田俊介氏の演奏。しょうこさんも菊田氏の演奏を聴くのは初めてだというから、(他の友達も私も)私たちは、どんな姿で彼が現れ、どんな存在感を見せるかワクワク、ドキドキ!
ゲートを入ってすぐのフロント・ポーチというステージで、子供たちが、一斉に歌っている。手作りの単純なベースを鳴らしながら、素人なりに頑張っている。
今年のブルースフェスティバルは、25回目。今回、ブルースの女王と呼ばれるココ・テイラー、大御所BBキングなど世界的に有名な超一流のブルースミュージシャンたちが、トリをつとめる。毎年100万人もの観客を動員するほどの世界最大規模のブルースフェスティバル。しかも、すべてのコンサートがタダ。タダですぞ!しかし、こんな普通の子供たちでも、この栄えあるブルースフェスティバルに出演できるのだから、誠にアメリカという国は太っ腹。
気温もぐんぐん上がり、サンダーストーム予報もでての蒸し暑い6月5日のフェスティバル初日。冴え渡る美しい緑と太陽の下、6月初旬の初夏という季節がぴったり。シカゴのダウンタウンの美しい摩天楼をバックに、この公園にブルース好きの人々が世界各地から集まってくる。まだ、お昼前なので、人はまばら。しょうこさんの話では、日本からの観光客もこの時間はショッピング中で、夕方から続々人が繰り出してくるという。菊田氏が案内する日本からのツアーもあるという。
菊田氏のバンドの演奏開始が、12時なので、その前に腹ごしらえ。公園内の歩道脇には、音楽関係のブースがあったり、ファーストフードやドリンクのお店が並ぶ。チケットブースで、12枚つづりのチケットを買い、そのチケットでピザとアイスコーヒーを急いで買う。
菊田氏の演奏場所、「ギブソンギター・クロスロード・ステージ」の横のテーブルで食べる。このステージのバックは、湖。なんて贅沢な場所。摩天楼と湖が対面している場所にステージがあり、ステージの規模が小さいので、じっくりと近くで演奏を堪能できる。
あっと、そうこうしていると、なんと白い衣装を着た菊田氏が誰かと話しているのが見える。はなしたーい!けど、本番前なので、ぐっと我慢。やはり、話すのは、演奏してからよね。
これが、ギブソンのステージ。意外と小ぶりで、親しみやすいね。
パトリシア・スコットのバンドのリードギタリストとして、菊田氏の演奏が始まった。バンドのもう一人の黒人のギタリスト、チコ・バンクスがギターを弾きながら、歌う。きっと日本のコンサート会場なら、かなりの料金をとられるだろう。
いきなり、のっけから菊田氏、ソロギター演奏で、観客を引きつける。久し振りのブルージィーなサウンドにしびれる。体の奥底に響くんだなあ、これが!
菊田氏が前面にでているので、ステージのまん前に行って、彼の雄姿を写真におさめようととりまくる。座って見ている人の邪魔にならないのか心配したが、みんなステージ前の柵で、カメラマンのようにバチバチ撮る。近くで道端に座って見ている人も文句を言わない。
本物のカメラマンは、取材のため、柵の前で撮っているが、こちらと距離はそんなに変わらない。なんて、自由な雰囲気なのだろう。横に、よくある浮世絵調のゲイシャの絵がついている趣味の悪いティーシャツを着ている女の人が、かぶりつきで、踊っている。目線の先は、やはりシュン・キクタか。でも、その趣味では、シュンは振り向かないのでは?!
シュンのギターさえわたる!!
みんなこんな感じで摩天楼をバックに見てます。
じっくり演奏を聴こうと、しょうこさんたちがいる場所にもどる。しょうこさんともう一人の友達は、楽しそうにリズムにのっている。私ものってきた。こういうときは、立って踊るに限る。座席が少しなので、誰にかまうことなく、思い切り踊っても大丈夫。普段の生活のことや子供たちのことを一切忘れて、ブルースに酔いしれる。友達ももうすぐ日本に帰国するので、1分1秒を惜しむように、輝く笑顔でシカゴの本場の音楽を楽しんでいる。
USセルラーからもらったブルーのネックレスを光らせながら、踊る!
しょうこさんものってます!飛び入りして、歌ってほしいよ!
昔、ハードロックのコンサートに通いつめていたころも、武道館、ドーム、渋谷公会堂などで、踊りまくった。上の息子を妊娠していたときに、妊娠7ヶ月まで仕事を続けて、身重の体でエアロスミスのコンサートに主人と行った。そのときもついつい踊りまくり、さすがの主人も「大丈夫かよ!」とあきれていた。胎教のために、(将来、ロックギタリストにならないかとほのかな期待)スティービー・レイボーン、エアロスミス、クラプトン、ガンズなどをずっと聞きまくっていたが、残念ながら、上の息子は、そういう音楽にはまったく興味を示さない。下の息子を帝王切開で生んだ直後の壮絶な痛みと闘ったときもクラプトンをじっくり聞き、1分1秒痛みをしのいだ。というか音楽と痛みにのった。なぜあのときクラプトンだったのか、今もってわからないけど・・・
そうです。実は、もともと私も主人もヘビメタ、ハードロック大好き人間です。主人は、学生のころは、ロックバンドで、ベースやドラムを弾いていた。長髪で茶髪の主人は、やせ細った、ハングリーなロック青年。彫りが深く目立っていたので、(ストーンズのキース・リチャードのような髪型だった)バイト先で、レコード会社の人からスカウトされり、少女雑誌に載ったり、華やかな時代もありました。(今じゃ、野球オヤジと化してしまったが)
私は、航空会社で国際線のグランドホステスをやりながら、休みの日は、ハードロックの老舗ディスコ、赤坂の「ビブロス」(あのツェッペリンのロバート・プラントが、来日した時、飛行機から着いてビブロスに直行したという逸話があるほど、ギンギンのハードロックかかってたねえ。菊田さんも行ったことあるのかしら?)やソウルがかかる「ムゲン」(このムゲンもかなりファンキーで、映画「サタデー・ナイト・フィーバー」にでてきたキラキラした銀色のミラーボールが回っていた)で、踊りのうまい妹とよく踊りに行った。当時は、あの映画の影響で、ディスコ全盛期。バブル期のジュリアナ東京ブームの前の時代。アース・ウインド・アンド・ファイヤーのナンバーやリック・ジェームスの私の大好きな「スーパー・フリーク」よくかかってた。世はサーファー時代。「Fine」とかいう雑誌もあったねえ。4分の1外人の血が入った、ちょい影のあるカッコいいビブロスの名物DJ、パンキーさん(なぜかしゃべるとすごい東北弁のなまりがあった)もサーファーの女の子が好きだった。
私たちにとって、何も心配ごとのない、楽しい時代だった。ただ、留学するって夢だけは追って、航空会社の特典を使って海外旅行をしながら、お金をこつこつ貯めた。音楽評論家の講座を真剣に受けに行って、湯川れい子氏や伊藤正則氏の話を聞いたり、主人と2人で、当時のロック少年少女のバイブル雑誌、「ミュージック・ライフ」に入るために、試験を受けに行き、2次試験の面接で、あのやり手編集長、東郷かおるこ氏と対面した。ちょとこわくてとても貫禄があり、主人は気に入られ受かり、私は落ちた。なーんて大昔の話はさておき。
菊田氏は、そのキャリア通り、カッコいいブルースギタリスト。テクニックがどのぐらいすごいのか、私は、ブルースの専門家ではないので、具体的に説明できないが、やはり、ギターを弾くときのテンションの高い表情がいい。ブルースを心から愛し、世界のトッププレイヤーたちとセッションするのが、楽しくてたまらないような感じだ。ココ・テイラーに誘われて、彼女のバンドに入り、彼女と一緒にツアーをしながら、世界中でプレーする菊田氏。金曜日のメインステージでの8時半からのトリが、ココ・テイラーと彼女のバンド、ブルース・マシーンの演奏だ。うーん、どうしよう、また明日も見に行きたくなった。
ドラマーは、黒人の若い女の人で、途中の彼女のボーカルもうまく、みんなをわかせた。ベーシストも低音でしぶく歌い、盛りあがっているが、時計を見ると1時近い。1時半のメトラに乗らないと、子供たちのお迎えに間に合わない。しかたがない、コンサートたけなわの中、泣く泣くおさらば!ダッシュで、記念のティーシャツを買い、途中でタクシーに飛び乗って、ぎりぎりセーフ。私たちが帰った後に、バンドの女性ボーカリスト、パトリシア・スコットが出演した。
こんなロゴマークがはいっているクールなティーシャツ。
いろんなデザインがあり、やっちゃんは、女の人用を買った。
帰りの電車では、しょうこさんが持ってきてくれた自伝「たのもうアメリカ」(近代文芸社)をみんなで見ながら、「来れてよかったねえ!」と談笑。しょうこさんが、長年勤めていた会社をやめて、単身アメリカにのりこんだときの3年間の記録だ。また、この本を読んで、内容を皆さんに紹介します。私も似たような体験をアメリカで留学及び駐在経験をしたので、その時のしょうこさんの気持ちがわかる。
私とダウンタウン大好きなやっちゃんは、密かに「どうする?明日のココ・テイラー。見に来ようか?菊田さんにも会いたいし・・・」とぶつぶつ言いながら、家路に着いた。~続く
このときの様子は、菊田氏の日記ブログにも書かれている。http://ameblo.jp/shunkikuta/entry-10103880078.html
ブルースフェスティバルウェッブサイト:www.chicagobluesfestival.us
日曜日の8時15分から9時30分のBBキングのコンサートが最終。
Grand Park 337 ERandolph, Chicago
菊田俊介氏の公式ウェッブサイト:http://shunkikuta.com
しょうこさんのブログ「SHOKO's Life in America」:
http://blog.goo.ne.jp/shokobrown
写真アップするの疲れたあ。息子がパソコンを待っているため、明日またアップします。次は、金曜日のココ・テイラーと彼女のバンドのコンサートの模様をリポートします。
ブルースとは・・・
昔、アフリカ系アメリカ人が社会から差別を受け、綿花畑での重労働に従事していたころ、その辛い仕事に耐えるために、まだ彼らの心を癒すために生まれたといわれている。(Qマガジン APRIL 2008 Vol.56 p16より)
ハードロック界の大御所、ローリング・ストーンズ、エリック・クラプトン、スティーヴィー・レイ・ボーンなどの音楽のルーツはみなこのブルースから。ストーンズのミックがシカゴのブルースバーで飛び入りで、セッションしたなどと昔よく書かれていた。
初日の木曜日、アメリカの音楽事情に詳しく、何回もブルースフェスティバルに来ているシンガー兼ライター仲間のしょうこさんをまず誘い、音楽好きの友達3人を引き連れて、メトラでダウンタウンへ向かう。アーリントン・ハイツから乗ったメトラは、ブルースフェスティバルに向かう人々で込んでいる。
アート・インスティチュートのライオン像の前で、しょうこさん(下の写真右から2番目)と落ち合い、一同グランドパークをめざす。入り口のゲートの前で記念撮影。
私たちのお目当ては、勿論、シカゴのブルースシーンで活躍する日本人ギタリスト菊田俊介氏の演奏。しょうこさんも菊田氏の演奏を聴くのは初めてだというから、(他の友達も私も)私たちは、どんな姿で彼が現れ、どんな存在感を見せるかワクワク、ドキドキ!
ゲートを入ってすぐのフロント・ポーチというステージで、子供たちが、一斉に歌っている。手作りの単純なベースを鳴らしながら、素人なりに頑張っている。
今年のブルースフェスティバルは、25回目。今回、ブルースの女王と呼ばれるココ・テイラー、大御所BBキングなど世界的に有名な超一流のブルースミュージシャンたちが、トリをつとめる。毎年100万人もの観客を動員するほどの世界最大規模のブルースフェスティバル。しかも、すべてのコンサートがタダ。タダですぞ!しかし、こんな普通の子供たちでも、この栄えあるブルースフェスティバルに出演できるのだから、誠にアメリカという国は太っ腹。
気温もぐんぐん上がり、サンダーストーム予報もでての蒸し暑い6月5日のフェスティバル初日。冴え渡る美しい緑と太陽の下、6月初旬の初夏という季節がぴったり。シカゴのダウンタウンの美しい摩天楼をバックに、この公園にブルース好きの人々が世界各地から集まってくる。まだ、お昼前なので、人はまばら。しょうこさんの話では、日本からの観光客もこの時間はショッピング中で、夕方から続々人が繰り出してくるという。菊田氏が案内する日本からのツアーもあるという。
菊田氏のバンドの演奏開始が、12時なので、その前に腹ごしらえ。公園内の歩道脇には、音楽関係のブースがあったり、ファーストフードやドリンクのお店が並ぶ。チケットブースで、12枚つづりのチケットを買い、そのチケットでピザとアイスコーヒーを急いで買う。
菊田氏の演奏場所、「ギブソンギター・クロスロード・ステージ」の横のテーブルで食べる。このステージのバックは、湖。なんて贅沢な場所。摩天楼と湖が対面している場所にステージがあり、ステージの規模が小さいので、じっくりと近くで演奏を堪能できる。
あっと、そうこうしていると、なんと白い衣装を着た菊田氏が誰かと話しているのが見える。はなしたーい!けど、本番前なので、ぐっと我慢。やはり、話すのは、演奏してからよね。
これが、ギブソンのステージ。意外と小ぶりで、親しみやすいね。
パトリシア・スコットのバンドのリードギタリストとして、菊田氏の演奏が始まった。バンドのもう一人の黒人のギタリスト、チコ・バンクスがギターを弾きながら、歌う。きっと日本のコンサート会場なら、かなりの料金をとられるだろう。
いきなり、のっけから菊田氏、ソロギター演奏で、観客を引きつける。久し振りのブルージィーなサウンドにしびれる。体の奥底に響くんだなあ、これが!
菊田氏が前面にでているので、ステージのまん前に行って、彼の雄姿を写真におさめようととりまくる。座って見ている人の邪魔にならないのか心配したが、みんなステージ前の柵で、カメラマンのようにバチバチ撮る。近くで道端に座って見ている人も文句を言わない。
本物のカメラマンは、取材のため、柵の前で撮っているが、こちらと距離はそんなに変わらない。なんて、自由な雰囲気なのだろう。横に、よくある浮世絵調のゲイシャの絵がついている趣味の悪いティーシャツを着ている女の人が、かぶりつきで、踊っている。目線の先は、やはりシュン・キクタか。でも、その趣味では、シュンは振り向かないのでは?!
シュンのギターさえわたる!!
みんなこんな感じで摩天楼をバックに見てます。
じっくり演奏を聴こうと、しょうこさんたちがいる場所にもどる。しょうこさんともう一人の友達は、楽しそうにリズムにのっている。私ものってきた。こういうときは、立って踊るに限る。座席が少しなので、誰にかまうことなく、思い切り踊っても大丈夫。普段の生活のことや子供たちのことを一切忘れて、ブルースに酔いしれる。友達ももうすぐ日本に帰国するので、1分1秒を惜しむように、輝く笑顔でシカゴの本場の音楽を楽しんでいる。
USセルラーからもらったブルーのネックレスを光らせながら、踊る!
しょうこさんものってます!飛び入りして、歌ってほしいよ!
昔、ハードロックのコンサートに通いつめていたころも、武道館、ドーム、渋谷公会堂などで、踊りまくった。上の息子を妊娠していたときに、妊娠7ヶ月まで仕事を続けて、身重の体でエアロスミスのコンサートに主人と行った。そのときもついつい踊りまくり、さすがの主人も「大丈夫かよ!」とあきれていた。胎教のために、(将来、ロックギタリストにならないかとほのかな期待)スティービー・レイボーン、エアロスミス、クラプトン、ガンズなどをずっと聞きまくっていたが、残念ながら、上の息子は、そういう音楽にはまったく興味を示さない。下の息子を帝王切開で生んだ直後の壮絶な痛みと闘ったときもクラプトンをじっくり聞き、1分1秒痛みをしのいだ。というか音楽と痛みにのった。なぜあのときクラプトンだったのか、今もってわからないけど・・・
そうです。実は、もともと私も主人もヘビメタ、ハードロック大好き人間です。主人は、学生のころは、ロックバンドで、ベースやドラムを弾いていた。長髪で茶髪の主人は、やせ細った、ハングリーなロック青年。彫りが深く目立っていたので、(ストーンズのキース・リチャードのような髪型だった)バイト先で、レコード会社の人からスカウトされり、少女雑誌に載ったり、華やかな時代もありました。(今じゃ、野球オヤジと化してしまったが)
私は、航空会社で国際線のグランドホステスをやりながら、休みの日は、ハードロックの老舗ディスコ、赤坂の「ビブロス」(あのツェッペリンのロバート・プラントが、来日した時、飛行機から着いてビブロスに直行したという逸話があるほど、ギンギンのハードロックかかってたねえ。菊田さんも行ったことあるのかしら?)やソウルがかかる「ムゲン」(このムゲンもかなりファンキーで、映画「サタデー・ナイト・フィーバー」にでてきたキラキラした銀色のミラーボールが回っていた)で、踊りのうまい妹とよく踊りに行った。当時は、あの映画の影響で、ディスコ全盛期。バブル期のジュリアナ東京ブームの前の時代。アース・ウインド・アンド・ファイヤーのナンバーやリック・ジェームスの私の大好きな「スーパー・フリーク」よくかかってた。世はサーファー時代。「Fine」とかいう雑誌もあったねえ。4分の1外人の血が入った、ちょい影のあるカッコいいビブロスの名物DJ、パンキーさん(なぜかしゃべるとすごい東北弁のなまりがあった)もサーファーの女の子が好きだった。
私たちにとって、何も心配ごとのない、楽しい時代だった。ただ、留学するって夢だけは追って、航空会社の特典を使って海外旅行をしながら、お金をこつこつ貯めた。音楽評論家の講座を真剣に受けに行って、湯川れい子氏や伊藤正則氏の話を聞いたり、主人と2人で、当時のロック少年少女のバイブル雑誌、「ミュージック・ライフ」に入るために、試験を受けに行き、2次試験の面接で、あのやり手編集長、東郷かおるこ氏と対面した。ちょとこわくてとても貫禄があり、主人は気に入られ受かり、私は落ちた。なーんて大昔の話はさておき。
菊田氏は、そのキャリア通り、カッコいいブルースギタリスト。テクニックがどのぐらいすごいのか、私は、ブルースの専門家ではないので、具体的に説明できないが、やはり、ギターを弾くときのテンションの高い表情がいい。ブルースを心から愛し、世界のトッププレイヤーたちとセッションするのが、楽しくてたまらないような感じだ。ココ・テイラーに誘われて、彼女のバンドに入り、彼女と一緒にツアーをしながら、世界中でプレーする菊田氏。金曜日のメインステージでの8時半からのトリが、ココ・テイラーと彼女のバンド、ブルース・マシーンの演奏だ。うーん、どうしよう、また明日も見に行きたくなった。
ドラマーは、黒人の若い女の人で、途中の彼女のボーカルもうまく、みんなをわかせた。ベーシストも低音でしぶく歌い、盛りあがっているが、時計を見ると1時近い。1時半のメトラに乗らないと、子供たちのお迎えに間に合わない。しかたがない、コンサートたけなわの中、泣く泣くおさらば!ダッシュで、記念のティーシャツを買い、途中でタクシーに飛び乗って、ぎりぎりセーフ。私たちが帰った後に、バンドの女性ボーカリスト、パトリシア・スコットが出演した。
こんなロゴマークがはいっているクールなティーシャツ。
いろんなデザインがあり、やっちゃんは、女の人用を買った。
帰りの電車では、しょうこさんが持ってきてくれた自伝「たのもうアメリカ」(近代文芸社)をみんなで見ながら、「来れてよかったねえ!」と談笑。しょうこさんが、長年勤めていた会社をやめて、単身アメリカにのりこんだときの3年間の記録だ。また、この本を読んで、内容を皆さんに紹介します。私も似たような体験をアメリカで留学及び駐在経験をしたので、その時のしょうこさんの気持ちがわかる。
私とダウンタウン大好きなやっちゃんは、密かに「どうする?明日のココ・テイラー。見に来ようか?菊田さんにも会いたいし・・・」とぶつぶつ言いながら、家路に着いた。~続く
このときの様子は、菊田氏の日記ブログにも書かれている。http://ameblo.jp/shunkikuta/entry-10103880078.html
ブルースフェスティバルウェッブサイト:www.chicagobluesfestival.us
日曜日の8時15分から9時30分のBBキングのコンサートが最終。
Grand Park 337 ERandolph, Chicago
菊田俊介氏の公式ウェッブサイト:http://shunkikuta.com
しょうこさんのブログ「SHOKO's Life in America」:
http://blog.goo.ne.jp/shokobrown
写真アップするの疲れたあ。息子がパソコンを待っているため、明日またアップします。次は、金曜日のココ・テイラーと彼女のバンドのコンサートの模様をリポートします。
ブルースとは・・・
昔、アフリカ系アメリカ人が社会から差別を受け、綿花畑での重労働に従事していたころ、その辛い仕事に耐えるために、まだ彼らの心を癒すために生まれたといわれている。(Qマガジン APRIL 2008 Vol.56 p16より)
ハードロック界の大御所、ローリング・ストーンズ、エリック・クラプトン、スティーヴィー・レイ・ボーンなどの音楽のルーツはみなこのブルースから。ストーンズのミックがシカゴのブルースバーで飛び入りで、セッションしたなどと昔よく書かれていた。