梅原猛氏と松岡心平氏の対論集から気になる部分、を書き出している。
50頁
梅原氏と松岡氏が「翁」に関して対話している中に出てきたのが「おこない」。
近江の湖北特有のものと思っていたのだが、ちがっていたようである。
本から関係する部分を書いていこうと思う。(松岡氏の会話より)
「…それがどこかでジャンプして、翁猿楽が出てきた。どこでジャンプしたのかを考えると、修正会・修二会を裏側から闇の力でバックアップする呪師の世界に猿楽が組み込まれて、そういう呪術的な世界に身を浸した猿楽に、変容が起こったのではないかと思います。
笑いだけの猿楽の世界、と言ってもその裏側にはいろいろ呪術的なマジシャン的なことは絶対にあったと思うんですが、逆にそういうマジシャン的な世界を持っているがゆえに、修正会・修二会の呪術的な世界に民間の猿楽が汲み上げられていって、そこで「鬼やらい」のパフォーマンスに参加する。呪師の世界を卑怯するような作業をやると同時に、法会の一番最後のところ、追儺(鬼やらい)の儀式で鬼を追っ払うという時、追っ払う方の鬼も追われる方の鬼もどちらも猿楽がやった。詳しく言うと呪師猿楽が追う鬼を、ふつうの猿楽が追われる鬼を演じたと考えられます。そこで初めて鬼の面という仮面をつけたんだと思います。
そこまでは追えるのですが、そこから「翁」がどういうふうに出てきたかというのがはっきりしない。修正会・修二会は、十世紀から十一世紀、あるいは十二世紀にかけて全国的に広がっていく。地方でも国分寺などでは修正会をやりますから、そういうところに各地方の猿楽が組み込まれていった。それは中央、例えば京都の法勝寺の修正会だけでもないし、奈良の東大寺の修二会みたいなところだけではなく、もっと全国的な広がりがあった。また修正会・修二会は民間の正月行事「おこない」という形で現在まで残っています。…」
「…ともあれ、例えば長谷寺の「ダダ押し」の鬼の役をたぶん猿楽がやっていたと思うんです。…」
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ダダ押しの由来とは、本の下の註によると
「長谷寺の開祖・徳道上人が地獄巡りをして、その”みやげ”に閻魔様からいただいた「閻魔大王印文」にある。
寺伝では、この印文を「宝印授与」と称して、信者・参詣者の額に押し当てる。…魔除けである。
・・・
近江国の本を読んで以来の「謎」であった「おこない」が古来からの寺の行事がルーツであったことがわかり、おでこに付ける印は、魔除けであったことがわかった。
その「おこない」と「猿楽」が同じ場にいたことがわかった。
もしかすると、東北の「ナマハゲ」も同じようなルーツなのかもしれない。