足利氏が進まないので、横道へ ~ 道草。
片岡経春、季春、末春。。。。
…
中原経久の父は 経任 橘次と改めている。
橘次とは、きちじ である。
炭焼き藤太
http://sendai-oldlocal-histry-takakura-kiyosi.saloon.jp/sumiyakitouta.html
義経不死伝説の声を聞く 147頁の大作! これからじっくりと読みます!!
http://www.i-promotion.biz/book/book_1/download/yoshitsune_densetsu.pdf
多賀城から金田村はわりと近い。
近江八幡 金田庄
栗原郡にいて、金成山福王寺に名が残っているのが 清原業隆あるいは隆業
堀弥太郎景光が吉次信高
堀は深栖光重の息にいる。頼重? 重頼?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%80%E9%A0%BC%E9%87%8D
公家の青侍。
かの金商人は、元は公家の青侍にて有しが、身貧〈まづしく〉、為方〈せんかた〉なさに、始めて商人になりけるが、今度、九郎冠者に付て、また、侍になされ、窪弥太郎とぞ申ける。(「頼朝義兵を挙げらるる事并びに平家退治の事」)
「三条の橘次季春と云金商人有。後堀弥太郎景光は此季春と云り。毎年奥州秀衡が方へも出入と也」(異本義経記)
この人物が下河辺氏に関係していて、しかも、なぜか大中臣氏であり、かつ海上氏にも居るという事はあるのかな…
下河辺荘の下河辺行義の父は太田行政か太田行光、兄が小山政光、息と娘は、行平(頼朝の側近)、政義、行秀、葛西清元室
行義の娘は東胤行の妻かもしれない。
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謎は謎のまま…
炭焼き長者ネタ超大好きです。栗原ってこんな詳しくびっくりです。岩手にまで行った時に車のサービスエリアにも長者って付く場所結構あった気がしますね。
で素敵なお話を聞いたんで少しお伝えします。
日本のある不老長寿を今コロナもあるんで探している過程で聞いたお話です。昔は米津さんのレモンじゃないけど柑橘が薬だという時代もあったようです。大和橘を探してましてその復興もされてますが、伊豆にも橘あるようでした。米山薬師さんだかにお墓があるらしい礪杵道作さんの辺りのもう少し北です。流されたなら西から入り内陸へなのでもう少し北から入ったんでしょうか?もしくは元々流したのではなく故郷に帰ったとも思いますよね。私は父の好きだった下田でサマーオレンジとか買ったなあ。
本題から外れましたけど、当時いっぱい木もあったようですがそれ以降の歴史で見ても納得なのですが、寺院建築や埴輪や土器そして瓦、その後は金属って高温の火が必要になります。するとどうなるか?気が無くなるんですよ。炭はもちろんバカ売れしちゃうわけです。作っていた方も〜ミクスがやってきたと思われたでしょうね。そう思うと第一次産業は段々と疲弊してくるんですよね、ちゃんと取りすぎずまた育てる事も並行しないといけないんです。ということで日本薬も無くなってしまっている可能性は、大仏とか作る前ですよね。相当今までの需要に合わせて生産していて消費も節約していたのに、そんな生活は一転したでしょう。縄文と弥生の間も奈良と平安の間も相当似ていそうですよね。ひょっとしたら疫病も。だって欲しいっていっぱい産地へやってくるでしょうから。普通生活していた方は大変です。本来その窓口も決まった種族でちゃんとやっていたでしょうけどある時から私欲に惑わされたならすっからかん。
木造建築造っていた方も素材にもこだわっていたでしょうし。誤解もあるでしょうね。今の時代と一緒でむしろ仲介ほど正義感と信念がないと両方が破綻しますし、仲介がお金儲けし始めたらそれは大変。なら間いない方がいいという路線もアリです。ただ両方が分かるからこそその立場ごとで両方がうまく出来る方法を選べる方も大昔からいたはずですよね。出てくるといいですね。
炭焼き長者の元へ都から働き者の姫さんが動いたのはもっと静岡あたりかと思ってましたけど栗原までかもしれませんし、青森北海道までもありそうに思います。
姫の出があまりわからない事と子供がどうなったか?気になるし、大抵お水の中に行ってしまう伝説も結構あります。今世なら命は守ってあげたらきっとコロナ対策の知恵も教えてくれそうに思いますよ。
何事も極端は良くないのでバランス感覚持ってないと出来ないお役目もありそうですよね。清原氏や葛西氏は以前から候補ではあります。少なくても近くにいるはずですし、源氏の周りには絶えずいるように思います。徳川もかな?私欲を肥やそうと画策する方には怖いけど、怖そうだけど話してみたらそうでもないってだといいですね。将門さんや田村麻呂さんたちが心開いてくれたらいいなあと思います。
栗原って悪評高い武烈天皇がまつらているんですから面白いですよ。さっき分かったんですけど継体天皇が八幡権現ならば武烈と八幡神はタッグ組めましよね。安閑は関東にはいますし、いつ来たか?ベースがないとその地で受け入れられないですしね。長者の姫はお腹に子供いないかな?両道入姫命の縁ある所が近江と福井(坂中?)忘れちゃいましたけど中省略されてそうに思ったんですけどお城は丸岡城、三國町も気になりました。
継体と仲哀さんが父とのワークでそれぞれ繋がるんでしたけどどうもこの天皇がそこがくっ付いてくるようです。どちらも天皇の歴史から結構裏にされているのは東北関東との元々のネットワークなどが原因かもしれませんね。柑橘の文化なんかないかな?青森にはお菓子の神様いたんでなあありそうに思いますよ。
イメージは結構体育会系で真面目で人を信じやすい天皇さんだけに表に出てきてくれなさそうですけど多分やっている事は物でも残っているでしょう。巫覡で自然と人間の間だけど人間に左右されちゃいけないまさに防疫や祓いのお役目をされているはずです。水神さんぽいですよね、九里さんとも関係すると思います。
ある意味じゃあ男性じゃないと出来ない役目で肉体的にもカリスマ的にもあるから女性では祓えないものを祓えるかも?ただ長期の視点からは必ず評価される事を考えるはずなので目の上のタンコブみたいに思われて誘惑も多いはずです。なので使命感と信念を持って、時に自分の意見をブレることもいとわないことが弱点のなるので周りで盛り立てる必要もあるかもしれませんね。
因みに女系の素質もないと無理なのでどこが最初か?は神の時代でも見えてくるでしょうね。
個人的な経験上の事ですが、参考になる所だけ参考にして下さいね。
ここでコメント書くつもりでなかったんですが、寄り道も意味ありそうですよ。
確かに、葛西氏関係ありそうなのです。
葛西氏に中には祭祀らしきこともしている人物もいるみたいなので、気になります。