義純の父は足利義兼で、義兼の妻は北条時政の娘時子である。
が、wikipediaによると以下の如くである。
「義兼の庶長子であるが、遊女の子であったとも伝えられ、大伯父の新田義重に新田荘で養育されたという。畠山重忠が元久2年(1205年)6月の畠山重忠の乱で北条氏の手により滅ぼされると、義純は重忠の未亡人(北条時政の娘)と婚姻し、重忠の旧領と畠山の名跡を継承した。
異説として時政女を所生とする畠山重忠の娘と婚姻したとも考えられている。
義純は元々従兄弟の新田義兼の娘来王姫と結婚しており、子時兼・時朝らを儲けていたが 、妻子と義絶しての継承であった。 」
ともかく、ここで足利氏と畠山氏が一体となった。
さらに
(義純) - (泰国) - (時国) - 貞国 - 家国 - 国清 - 義深(能登守)- 満慶(この時能登畠山初代当主となる)
能登畠山
満慶 - 義忠 - 義統 - 義元 - 慶致 - 義元 - 義総 - 義続 - 義綱
めだった事は、
国清は、室町幕府関東管領、評定奉行であり、和泉・紀伊・河内・伊豆・武蔵守護となる。
満慶は、幕府の室町幕府相伴衆、越中・紀伊・河内・能登守護を務める。
===*===
この能登国に久能利氏がいて、日野氏の所領である若山荘を預かっていたようである。
久能利氏は、能登国へいった九里氏であったのか? 日野氏とのつながりがあるところを見ると、近江国の九里氏とはつながっていると思うのだが‥‥
さらに畠山氏とのつながりで見ると、鎌倉初期からのつながりであると思うのだ。
能登畠山氏に関心があり
別コラム「地名解読のための 縄文語(アイヌ語)講座」から
寄り道しました。
>能登国に久能利氏がいて、日野氏の所領である若山荘を・・・・
久能利氏?若山荘というと珠洲郡内の荘園ですね?
--- Wed. 16:54 2022/09/21 猿投山人
重忠の続きに久能利氏がいたことを忘れておりました。
重忠の時代から近くにいたのかもしれません!
これは調べてみなくては…
ありがとうございました!!