九里 【九里】を探して三千里

姉妹編【九里一族】に出会う旅に出かけよう!http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori2
  

佐々木氏 葛西氏 益田氏 そして 千葉氏   永田(長田)胤信の周辺(1)

2022-11-15 | 永田氏

佐々木氏と葛西氏のつながりを調べていて、富士文書(宮下文書)にもその接点を感じさせる記事に出会った。

益田氏は、佐々木氏から分かれた系図もあったはずである。

そこにも、遠回りながらも佐々木氏と葛西氏のつながりが見えてくる。

更に、六角時信の息直綱の妻が、葛西高清の娘であったことも今回わかった。

さらに【千葉胤信】が【葛西清信】となり、奥州千葉氏となっていたようなのである。

この胤信は、ひょっとして【永田胤信】なのではないだろうか?

だいたい時代もあっているような気がするが、これから調べていこうと思う。

 

セキホツ熊の謎を追え! さんの HPより

https://www.sekihotu.com/entry/2022/01/30/180805

⑩十男グループ『葛西・益田氏?』

日高見国造

一般的には、桓武平氏良文流であり、秩父吉田郷を本貫にする秩父氏豊島氏支流とされる。下総国葛西御厨を所領していたが、源頼朝挙兵によって御家人となる。葛西清重は奥州合戦で奥州藤原氏を攻め、その武功から奥州総奉行に任じられ陸奥国(後の陸前国)所領を得た。しかし宮下文書的に言えば、源頼朝や奥州藤原氏や坂上田村麿が登場する遥か以前から、日高見国を統治していたことになるのだ。

登米郡寺池城を居城とし、三十五万石の大名となり、秀郷流小野寺氏に仕えることになる。葛西清重から黒澤時重が派生。その後1276年以降は、千葉頼胤は息子の胤信を葛西氏に養嗣子として送り込んだとの説があり、ただ奥州千葉氏には系図が失われた為に疑問点も多い。

また前記事でも紹介したが、加茂喜三氏は益田氏の祖とも述べている。これはおそらくは石見国益田氏の事ではないだろうか?。柿本人麻呂の由緒があるといわれる現在の島根県益田市には、吉田・三宅といった地名が見られる。

 

宮城県登米市登米町にあった日本の城

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E6%B1%A0%E5%9F%8E

 

*****

上記に関してweb情報を集めてみたのが下記である。

葛西太守清信は、建治二年(一二七六)に奥州下向と伝えているが、

清信は千葉介頼胤の四男胤信で、葛西氏に入嗣したといわれているが、

(葛西清宗と没した日が同じとされる胤信)

別文書の中に胤頼の第四子正胤は馬籠に移り住んだとか、本吉四郎清胤とか左術門尉重春が ...バラバラである。

刑部大夫清信は、盛岡葛西家家系に見え、正和二年は五十二歳で建在となる。(1313年)

 

千葉介頼胤の三男が、葛西家入りしたことは一致している。

 

頼胤の室は葛西三代清親の娘で、葛西清時からすれば胤信は妹の子である。

 

建治二年(1276)、葛西太守清時の養子となった千葉介頼胤の子胤信は、十五歳で元服して清信と名乗り郎党数百人を従え奥州に下向した。結果、葛西氏の家臣には千葉氏の分かれを称する者が多い。(奥州葛西氏)

http://www2.harimaya.com/kasai/ks_kasin.html

 

https://chibasi.net/rekidai211.htm

上から二番目の系図に六角時信の記載がある。

 

https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/e/77d29f63fda8f31e02f63b4019ddad76

 

絡まった糸を解きほぐしていかないと、よくわからないが、葛西氏は佐々木秀義の息佐々木義清は葛西清親の娘聟にもなっている。

更に以前調べた際にweb上にあった情報に

渋谷氏は、同族(秩父平氏)である葛西氏と重縁にあった。
渋谷重国の妻は奥州総奉行である葛西清重の娘であり、渋谷重国の父である重家の妻は、葛西清重の父である豊島清元の姉妹である。
なお、隠岐・出雲流佐々木氏の二代目である泰清の妻は、葛西清重の嫡男である清親の娘である。」とあり、私はまだ未確認なのだが、これが本当とすると、

渋谷氏の時代からのつながりで佐々木氏も葛西氏と繋がっているのだと思う。

上記の重家は河崎重家のことである。

 

memo

渋谷重国 

斉藤実盛?

下河辺行義

佐々木義清

八田知家の妻「近衛局」頼朝の乳母。中条成尋法橋の妹。

相摸國住人原宗三郎宗房(相模国足柄下郡原村・原郷で神奈川県足柄下郡湯河原町吉原字原)

尾張一住人原宗三郎宗房

中山五郎為重は比企判官能員の女婿

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 足助庄 矢作川 二つの足助... | トップ | 調べものの途中での情報  ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

永田氏」カテゴリの最新記事