【相撲】の観点から神社をweb情報から拾い集めてみようと思う。
私が知っている神社は数が限られているので、他にもきっとあると思う。
ご存知の方は是非ご一報を!!
出雲大社の手前にあった「野見宿禰神社」
近江の多賀町の多賀神社では九月九日、
京都の梅宮神社では、八月二十八日に嵯峨天皇例祭を催して相撲神事を行う
上野国神名帳緑野郡正五位下土師明神
下野国藤岡の土師神社
土師神社(群馬県多野郡美水里村本郷)
例祭は陰暦の八月朔日(現在は九月一日)に行われたので、八朔相撲と呼ばれた。
能登国羽咋神社の唐戸山相撲場、
養父郡 水谷神社 ねってい
隠岐島 奉納相撲
吉田司家の「相撲三神」は、「天照大御神」、「戸隠大神」、「住吉大神」であったといわれています。
相撲神社は奈良県桜井市にある。
穴師巫兵主神社の鳥居の右手場内に拡がる「カタャケシの社」に鎮座する。
『師型兵主神社(奈良)の摂社である。「相撲発祥の地」
石川羽咋市第垂羽咋神社はくいじんじゃ化財。神事相撲」
穴師坐兵主神社
https://genbu.net/data/yamato/hyousu_title.htm
日撫神社秋祭(奉納相撲)
https://maibarand.shiga.jp/sumou-odori/
滋賀県米原市の山津照神社(やまつてるじんじゃ)で『奉納角力(ほうのうすもう)』が行なわれる。
坂田郡 相撲神社
何と奉納相撲行事を行う神社は1147社もあるそうである。
今回調べたところ、中国山東省にも相撲があったそうだ。
長田神社の「長田氏」が「永田氏」となっていたかも。
(信長公記に永田氏の相撲の記事がある。初めは行司役となっていた永田氏が決勝戦に?)
https://kininaruart.com/artist/shincho/n11.html
大方、相撲終り、既に薄暮に及ぶ。 永田刑部少輔 ・ 阿閉孫五郎 、強力の由、連々聞こし召し及ばれ侯て、両人の働き御覧じたくおぼし召され、右、御奉行衆の相撲、御所望なり。初めには 堀久太郎 ・ 蒲生忠三郎 ・ 萬見仙千代 ・ 布施藤九郎 ・ 後藤喜三郎 、取られ侯て、後に 刑部少輔 ・ 阿閉 、暫し手相にて組まれ侯。勿論、 阿閉 が器量 骨柄勝れ侯て、力の強き事、隠れなく侯へども、仕合せ侯か、総別強く侯か、 刑部少輔 勝ち相撲に侯。
更に土師氏は大江氏につながっていると言われているために、養父郡の神社を任せて水谷氏となったと思われる大江広元の姉の息子 水谷重清がいる。
長田氏・永田氏・大江氏、どちらを向いても「九里氏」とつながりがある。
まきもくの檜原のいまだくもらねば小松が原にあわ雪ぞ降る(新古今、万葉集)の歌碑があったので。
山奥の小さな社だったと記憶しております。
又々何の役にも立たない情報でした😅
神や大地を鎮めるための相撲だったのでしょうね。
相撲と神社がこの様に密接な関係だったとは。
奉納とは、物だけでは無かったことがわかりますね。