九里 【九里】を探して三千里

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小山氏・野本氏・有間氏と宇都宮中原氏(1)

2024-05-04 | 九里バラバラ情報
今回の「肥前国高来郡深江浦」の譲り状に関して関わっていそうな一族は、
小山氏を中心に、野本氏・有間氏・中原氏だったのではないだろうか?

稲毛氏の関東の所領であった稲毛庄と遠く離れた肥前国の高来郡深江浦と一体どのような理由があって、また、どのような縁で、交換となったのか…を調べてみた。

すると意外なことが分かってきたのだ。

古くは、稲毛庄に属していた【有間村】があったそうなのだ。
 



青い丸のポイントは【馬絹神社】周辺である。

下記の地図には【中原】も見える。



つまり、稲毛庄の中の有間郷(郷か保かわからないが…)があり、そこに有間氏が居たと想定できるのである。

中原もまた、稲毛庄内か、その隣である。
稲毛重成の娘が嫁いだ宇都宮頼綱の養母関係の中原であったのかもしれない。
つまり、寒河尼の実家である。頼綱の養父は小山政光で妻が寒河尼である。
(政光の後室とあるので、それ以前にも妻がいたと思われる。)

という事で、此の稲毛氏・宇都宮(中原・横田)氏・有間氏は稲毛庄を中心とした地域に共に住んでいた可能性が高いと思われる。

稲毛重成の息【小沢重政】の母が北条時政の娘であったことから、父子が亡くなった後に北条氏が土地(皇嘉門院領であった稲毛庄)を没収したと仮定してみる。

そこで、なぜ肥前国高来郡の荘園と交換となったのか。
そこに有間氏が関係していると思うのだ。有間経澄が長崎県南島原市北有馬町谷川名 に築城もしている。(日之江城串山郷高来郡東郷に含まれているという事だ。深江浦も東郷のようである。

その辺りに詳しい論文がある。
この5ページに北条義時の代に稲毛庄と高来郡東・西郷を交換したことが分かる。


【肥前国高来東郷・高来西郷と高来一揆】 外山幹夫 著

そして、六波羅御教書に「朝澄開発田」とあるそうなので、開発をすれば領主となり荘園をもらえる約束で、経澄・朝澄と肥前国に渡ったのではないだろうか?(大村直澄は藤津・彼杵 (そのぎ)・高来の三郡を賜ったとある。そのため、元から大村氏の土地であったともいえるのだが…)
経澄は日之江城を築城し、朝澄は高来郡の荘園を開発したのではないだろうか?
大村氏とつながっていることを考慮すれば、はじめは肥前国にいた大村氏となった直澄の一流が東国へ渡り御家人として武蔵国稲毛庄内の有間郷の地頭となる。

有間となった経澄・朝澄が故郷の肥前に戻り、高来郡の城主・開発領主となった…という事なのではないだろうか?

そこが分かれば、蓮忍入道が誰なのか?も判明しそうで、まさにそこが知りたい!!

さて、蓮忍入道は、宇都宮の中原なのか、大村氏・有間氏なのか。
はたまた、有間氏に嫁いだ中原娘がいたのか。
中原に婿入りした有間氏だったのか。

大村氏を調べてみたい。






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