多賀氏
千葉一族【た】より
http://chibasi.net/ichizoku6.htm
千葉一族か。名字地は下総国神崎庄多賀郷(成田市高岡?)。おそらく神崎千葉氏の一族であろうと思われる。
鎌倉時代末期には、多賀氏は多賀郷地頭職であった野本氏の代官となっていたようである。
建武4(1337)年、野本朝行(能登四郎)は足利尊氏に味方し、後醍醐天皇方の「千葉下総守(千葉介貞胤)一族等」が神崎庄多賀郷に攻め入ったとき、
「千葉余三清胤、朝行代官等」が足利方として連日合戦して功績を挙げた。ここに見える「千葉余三清胤」もおそらく神崎千葉氏の一族であろうと思われるが、系譜などが伝わらないため、不明である。
また、多賀郷代官である「多賀七郎行胤、小栗左衛門次郎重高、多賀七郎三郎」らは尊氏党である「千葉大隈守(千田胤貞のこと)」の留守を守るため、千田庄多古の大嶋城に入っていたようである(『熊谷家文書』「野本朝行子息鶴寿丸軍忠状」)。
===*===
「余三」は「余呉の三男」の「余」なのではないだろうか?
しかも「多賀郷地頭職であった野本氏の代官」とある。野本氏は斎藤氏と思っていたが、、、神崎千葉氏でもあるのだろうか?
しかも「清」も付いているところを見ると、清原氏とも関係があるのかもしれない。
===*===
多賀という地名がどこにあるのか?
下総国に「多賀」は見つからず「神崎」は見つかった。
海上郡 香取の近くであった。(千葉氏の中の海上氏に地図あり)
http://chibasi.net/unakami2.htm
片岡氏がいた場所かもしれない。
近くに川瀬という地名もあり、多賀氏の流れの「河瀬氏」につながるか?
===*===
近江国犬上郡の多賀神社の他に、(もとは神崎郡だったのか?)
近江八幡の中にも多賀はある。
===?===
下総国神崎庄の多賀郷
近江国犬上郡の多賀神社
そしてどちらにも河瀬(川瀬)氏
近江国の神崎郡と犬上郡の間は「愛智郡」だが、多賀氏の祖の直系の中原成任が住んでいた所である。
大社格なので、千葉は分家筋では?
と既にご存知でしたら、非表示に。
拙句
ちり果てぬたが知るらむ残る花
(誰がと多賀大社を掛けて見ました)
今ちょうど、下総国の一宮が香取神社であることがわかり、また多賀があったと思われる「神崎」にも神崎神社があると、調べていました。
多賀神社にいた多賀氏のうちの誰かが、他の神社の
宮司さんによばれて…という事もあるでしょうか。
誰がために東の国へ(あと思いつかず…)