https://munahaku.jp/wp-content/themes/munahaku/img/kiyou/vol10/pdf/kiyo_10_02.pdf
上記の資料より 関係部分
藤原氏を率いていた左大臣藤原冬継は、平安京皇居近くの自邸内に宗像神を守護
神として祭り、摂政・関白に昇るその子孫もこれを引き継いだ。高市父子の怨霊を恐れ
たためであろうか。
ムナカタの地政的価値がすでに失われていたにもかかわらず、京と筑紫の宗像神が急
速に昇階し、宗像朝臣が宗像大宮司に補任されるのも、このようないきさつがあったた
めと考えられる。
このあとも宗像神社と大宮司家は、藤原氏とのつながりを頼りとして中世の動乱に立
ち向かう。
高市皇子の母は宗形の尼子娘である。
宗形徳善 ↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E5%BD%A2%E5%BE%B3%E5%96%84
尼子娘 ↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BC%E5%AD%90%E5%A8%98
長屋王↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B1%8B%E7%8E%8B
高市皇子 ↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B8%82%E7%9A%87%E5%AD%90