ドキドキするような、私的発見。
源義仲を匿い育てた「中原兼遠」の先祖は「中原以忠」の系とあった。
其の以忠を調べていて、以下の系図に当たった。
http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/hitori/madarame1.htm
山崎博史氏の著『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』を読む 宝賀寿男 から
こちらに 広房 の記載があり、註に 初匡房養子、号大江、後還本姓 橘 天仁元年信濃守
殿暦 元永元年十月 信濃前司広房 書かれていた。
広房は、中原広房でもあり、大江広房でもあると思う。
更に、橘広房でもあることがわかった。
そこで、他の系図も見ることにした。
橘氏 web上にある系図より(公暁類別譜)(リサーチ家系リスト)
https://geocity1.com/okugesan_com/tachibana.htm
真ん中あたりの「広房」A2②→ 次の系図の 以長ー以忠ー以継ー以賢 となっている。
しかし、その系には兼遠という文字は見えない。(一行目の兼遠は、時代が別と思う。)
https://reichsarchiv.jp/%E5%AE%B6%E7%B3%BB%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88/%E6%A9%98%E6%B0%8F#ijotneki
兼遠の父は「兼経」であった。
友経の系からの養子であったのではないだろうか?
以忠ー以継ー以賢ー兼経ー兼遠
そこ(以賢ー兼経)がまだ未解明だが、大江兼遠でも橘兼遠でもあり得る位置にいた事がわかる。
または、但馬守が見えるので、其の系であった可能性もあると思う。
大江匡房の祖父が、昨日の記事に書いた大江用水の大江匡衡なので、養子ではあるが広房も繋がっている!
其の広房の孫が以忠であったのだ。その裔に兼遠!
九里の祖九里経久の父であった【経任 改橘次】 が、この系図には書かれていなかったが、存在していた人物にいるような気もしている。