http://www.harimaya.com/o_kamon1/seisi/11_20/kimura.html
木村氏で有力なのは、近江源氏佐々木氏から分かれた木村氏である。『佐々木系図』によれば、佐々木経方の曾孫成俊が近江国伊香郡木村に因んで木村を称したとあるが、祖母が紀氏の出身であったこともあって佐々木の姓を木村に改めたとされている。子孫は、佐々木神宮職を世襲した。
以前も見た。
素直に従って、中原氏と関係なく「木村氏」としてもう一度考えようと思う。
佐々木定道は経方の孫である。
その息に「成俊」がいる。(経方の曾孫)祖父は行定・祖母は紀盛宗の娘である。
伊香に住んでいたという事は、九里の祖である江州中原氏の中原成俊、息経行と同じである。
web情報によると、
木村氏の血筋は出雲神話から始まる「神氏」(じんし)一族ともいわれている。
そう父の方の隠れ一族として紀氏気になってます。
で今関係している名字の関係者から紀氏もどうも関わるんで両得の情報なのでとてもありがたいです。
でこちらのワークでは、紀と佐々木の木と近江の神社の文字だと貴も音ではキなので合わせて考えてます。
鬼もそうなぁ?鬼渡?
あと最近行った場所で久々だったのが紀州関係の神社なので和歌山辺りもエリアとしては関係しそうに思うんですよね。
一般的にスサノオみたいに海を渡るようなイメージある紀氏なんですけど、文化あるんですよね多分。道真さんのが近いように感じます。教養ありの子供の時からの環境ありそうな民族なはず。
なのでスサノオの系統の大国主命や貴の文字付くようなお名前の国譲った前の系統と関わりそうに思うんですよね。出雲と製鉄も密着してますし。櫛稲田姫の方の文化継承しているなら納得ですし、母の実家の方が孫は接点多いのもまた環境も継承もし易いはず。
吉宗や紀州の関係もいっとき疑っていたんですけど、なにか思いがあり何かを伝えようとしていたなら、敬意を払うべき一族の認識は絶対あったはず。吉宗の周りでも何か出てくるかな?