古代からのつながり(3)の記事に登場した「中原景経=井口景経」
九里の祖の前代「経任」の兄となる人物である。
ちなみに弟の「経任」は橘姓に改姓している。
景経が荘官だった可能性がある言われているのが「富永庄」である。
富永庄は近江国伊香郡と坂田郡の二つに存在していたため、注意が必要・・と論文の中にまで書かれている。
中原景経が関わっていたのは伊香郡の「富永庄」である。
その付近には、伊香荘・余呉荘もあった。
それでは、福田栄次郎の「江北荘園の在地動向をめぐって」と「山門領近江国富永荘史料 ー『郷岨日吉神社文書』についてー」から繙いてみよう。
伊香荘など(江北)の荘園は大宝年間(701〜704)以前に斉明天皇の勅施入によって成立したと伝えられている。
平安時代以降この地域は富永荘・伊香荘・余呉荘と、それぞれ異った本所.領家をあおぐ荘園として存在したわけであるが、
農民や在地勢力の成長の著しかった畿内荘園の成立形態は、しぽしぼ小規模で、散りがかり的であることがあったが、
ここでは律令以来の行政区画である郷を単位とし、幾つかの郷が結集して立荘されたようで、広領域の荘園が成立している。
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とある。
富永庄のあった付近の地図
長浜市立富永小学校のあたりに「富永庄」があったと言われている。
赤い矢印が佐味神社らしい。「富永庄」と近い!
こちらも佐味神社の場所とwebで出ており、どちらも正しい。
http://www.shiga-jinjacho.jp/ycBBS/Board.cgi/02_jinja_db/db/ycDB_02jinja-pc-search.html
↑に「佐味」と入れると二つ出てくる。
「富永庄」は山門領となっているが、近江国の場合の【山門】とは比叡山延暦寺ということなのだろうか。