丹波柏原藩士に九里八郎右衛門政敬がいた。
厳しい人物であったようだ。
彼は岡田氏からの養子である。
其の孫が跡を継ぐ。「九里敬三」である。
敬三は子どもがなかったようで、友人の大井家から養子をもらう。それが私の曽祖父「圭治」である。
そこで、昨日「晴天を衝け」に出てきた松平定敬が「さだあき」と読んでいることに驚いた!
その周辺を探っていると「黒田 長敬(ながあつ)」が出てきて、今度は「あつ」とも読むことがわかった。
八郎右衛門まさたか、と今まで読んでいたが、まさあき、まさあつ、もあるのかもしれない。
古文書には読みまでは書かれていない。
漢字「敬」を調べると「あき,あつ,いつ,うや,かた,さとし,たか,たかし,とし,のり,はや,ひろ,ひろし,ゆき,よし」とある。
ますますもって、謎である。