今回読み直し、調べ直してみたこと。
それは尾張中務丞が 、栄実を養育していたのであるが、其の尾張中務丞とは?であった。
皆さまはもうご存知なのかもしれないが、私は自分では調べた事もなく…今回初めて調べてみたのである。
実は本にも答えはあったのだが…
更に頼家が歿した後に養育していたのが尾張中務丞。
この尾張中務丞は、原氏かな?(尾張二宮宮司)とも思ったのだが、やはり泉親平(衡)の系かもしれないと思い、掘ってみた。
なぜならば、この人は源満快流で、父公衡が「禅師 行心」であり、片桐次郎であり、田島氏の祖なのである。
田島氏! 以前調べた際に 熱田神宮の関係で出てきた氏である。
https://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/e/8299f11e1debe5186bd9ad517b54ac8e
田島氏=尾張氏である。
本と同じように田島氏で、決着がついた。
更にここに出てくる禅師こそ、1213年の事件に関係する人物であり、また、公衡の母親が横山氏であったために公衡の息親衡もそちら方面に逐電したのではないだろうか?
330名も逮捕されたという。 八田知基という名も見える。
この事件は一体何だったんだろう。狭い鎌倉で330人。
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栄実の母、一品房昌寛の娘であるようだ。
一品房昌寛は源範頼の祐筆でもあった事からやはり文官のようでもあり、中原氏であるかもしれない。
何故なら「範頼の右筆中原重能は康貞の弟なので、範頼は重能の進言を入れて…」の一文もある。
重能のことだろうか?
何名か祐筆がいたのだろうか。
平康頼 も関係が出てくる。伯父中原仲康が和田朝盛と朋友…と出てくる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%BA%B7%E9%A0%BC
和田朝盛は義盛の嫡孫である。(常盛の息)
この平康頼の父も中原氏である。「信濃守中原頼季」である。
この康頼と一緒に島に流された人物に俊寛がいる。
俊寛に昌寛…
一品房昌寛は、熊本の人物であったのか「肥後志賀文書」が残されている。