九里 【九里】を探して三千里

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なぜ九里が井口の仲間の中にいないのか・・・

2016-09-05 | 井口氏 バラバラ情報
前回の「越中 井口氏」の予想は外れ、近江国の井口氏よりも越中国の井口氏の方が、ぐっと古かった。

越中国の井口氏の祖は、藤原利仁の三男、井口三郎光義だそうだ。

【藤原利仁の三男で、越中国を任せられ砺波郷に住み、越中国の豪族として勢力を維持。】とあさひ塾に詳しい!
http://www.asahi-juku.jp/history.html

其の流れに井口から宮崎氏になった、宮崎太郎がいる。

この宮崎と九里がどうも関係がありそうだ~と調べていたら、またまた「あさひ塾」の中の物語の冒頭に重要なことが書かれていた。
http://www.asahi-juku.jp/pdf/miyazaki_tarou.pdf

序章に書かれているので、ぜひご一読を。

宮崎=井口…ということが分かり、では、九里はどこに?ということになるのだが、九里と名乗るのは、また後のことで、この頃は中原氏か、何か、他の氏を名乗っていたと思われる。(井口氏や宮崎氏の中にいた可能性もあると思う。)


そして【赤丸米のふるさとから 越中のささやき ぬぬぬ!!!】ブログさんの中にも、重要なことが書かれている。

 ✳「藤原利仁」:平安中期の人。左近将監を経て延喜11年(911年)上野介。翌延喜12年(912年)上総介。下総介・武蔵守と関東の国司を歴任。同 15年(915年)に下野国で貢物を略奪した群盗数千を鎮圧した話は有名。(『鞍馬蓋寺縁起』)この年に鎮守府将軍。
 その子の加賀介三郎叙用の兄の太郎有家は斎宮頭に任ぜられ「斎藤」の祖となり、弟の有頼は越中井口氏の祖となった。叙用の五代後の 貞宗は林氏の祖となり、弟の家国は富樫氏の祖となった。

続きはまた明日にしようと思う。




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