万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

ナチス政権誕生は‘普通の人’が悪魔化したからか?-復讐心の因果分析を-

2018年09月22日 15時02分42秒 | 国際政治
従来の定説によれば、ドイツにおけるナチス政権の誕生は、外部の状況によって、ごく‘普通の人’の心に潜む残忍性が表出したから、とも説明されています。人は誰でも心の内に悪しき闇を持っており、時にしてそれは社会全体を巻き込む渦となって、恐るべき怪物を生み出すと…。

 この説によれば、誰もが悪魔の一員になり得るのですが、こうした性悪説は、ナチス政権を支持する人々の心理を的確に分析しているのでしょうか。実のところ、人にも、生物に共通する生存本能がありますので、自らを護りたいとする心の働きを‘悪’と認定すれば、全ての人は悪人になり得ます。自己保存本能=悪の定式に従えば、確かに、性悪説も成り立つのですが、一般的には、宗教的な教理を除いては、自己本能をそのまま‘悪’と認めている社会は殆ど存在していません。人々が‘悪’と認定するのは、それが他害性を有する場合です。自らの利益のために他者を害する、つまり、利己的他害性の有無こそが、古今東西を問わず、凡そ人が‘悪’を認定する一般的な基準なのです。

 それでは、何故、人が人に対して残酷になる場合があるのでしょうか。共食いを行う生物種とは違い、人とは、日常的には他者の生命や身体等を害することがないよう(=悪人にならないよう…)、自己と他者との間の調和を計りながら生きています。ところが、しばしば、この自他のバランスが崩れる場合があります。それは、自らは何らの加害行為をも行っていないにも拘わらず、上述した意味での‘悪人’、即ち、自らの利益のために他者を害することを是とする人によって、許し難い被害を受けた場合です。人には、高い知性に裏打ちされた公平感覚が備わっていますので、この時、被害者は、加害者に対して自然の、そして、至極当然の反応として怒りの感情をいだきます。そして、加害者に対する怒りは、被害者をして自他のバランスを回復させるための復讐に駆り立てるのです。この被害者の復讐心こそ、人が人に対して見せる残虐性の根源の一つなのかもしれません。

 こうした加害と被害との間の因果関係の観点からナチス政権誕生における群集心理を読み解くとしますと、定説とは別の見方もあり得るように思えます。ヒトラーを独裁者の座に登らせた根本的な要因は、一般のドイツ人の復讐心にあったように思えるのです。第一次世界大戦後、否、近代以降のユダヤ人の利己的な振る舞いは、一般のドイツ人の復讐心を煽るに十分過ぎるほど十分でした。それが、ナチス政権幹部の大半がユダヤ系であったことが示すように、極めて巧妙に仕組まれた策略であったとしても…。この点に注目すれば、ナチス政権誕生が残した歴史的教訓とは、‘普通の人々を迫害者に変える心の闇に警戒せよ’はなく、‘一般の人々に復讐心を抱かせるような、利己的で無神経な他害的な行為を為してはならない’と云う行動規範なのではないでしょうか。結果ではなく、原因を除去する方がより効果的なのは言うまでもありません。

今日、日本国を含め、移民問題が各国において深刻化していますが、こうした異民族が関わる問題にあっても、この教訓は参考になります。移民、あるいは、移民斡旋事業者は、移住先の一般国民にとりましては、職が奪われる、賃金が低下する、治安が悪化する、そして、伝統や文化が侵食されるといった側面において、喩えその自覚がなくとも移住先の国民に対する‘加害者’となり得るからです。しかも、移民の側も、移住先の国で差別的な扱いを受ける、あるいは、社会的に不遇な立場となる場合には、自らの加害性に思い至ることもなく、不当に害されたとのみ思い込み、移住先の一般の人々を恨むことにもなりましょう。双方が相手方に対して復讐心に燃えるような事態になれば、その結果は、火を見るよりも明らかです。

このように考えますと、一般国民と移民との間の復讐心に起因する社会的な対立や摩擦を回避するためには、その原因となる移民政策こそ、避けるべきなのではないでしょうか。移住先の国民にのみに‘寛容’を求め、移民の増加に反発する一般国民を‘悪人’と決めつけるのは、因果関係も、歴史の教訓をも無視しているように思えるのです。

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コメント (8)
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