万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

NPT時代の残酷な戦争

2024年12月09日 11時55分02秒 | 国際政治
 ウクライナ紛争は、それが非核兵器保有国と核兵器保有国との間の戦争に発展したため、NPT体制を根底から問い直す機会ともなりました。何故ならば、50年代に始まるNPTの成立過程にあって、核保有国対非核保有国との間の非対称な戦争は想定されていなかったからです。戦後、アメリカの核独占状態が崩れ、ソ連邦をはじめ各国が核兵器を開発・保有に成功する中、核兵器の拡散を防ぎ、核戦争の恐怖から人類を解放することが、NPTの主たる目的であったのですから。言い換えますと、核戦争の未然防止策として始まったのが、同条約に基づく核放棄の義務化であったのです。因みに、1958年にNPT構想を発案したのは、当時、アルランド外相であったフランク・アイケン(Frank Aiken)であったとされます。

 未然防止策とは、時にして、その防止したはずの事柄が起きてしまう可能性を忘れがちです。未然に防止したのだから、懸念すべき出来事は起こらないと信じてしまうのです(‘結果の先取り’思考・・・)。とりわけ、安全面において深刻なリスクとなるのは、手段の保有を禁じつつも、全てのメンバーがこれを放棄しない場合です。何故ならば、一方的に放棄した者は、平時の抑止力のみならず、有事の正当防衛の手段さえも失うからです。この問題は、日本国の憲法第9条にも通じており、軍事力の放棄=平和という命題がたとえ‘真’であったとしても、それが一国のみでは意味がないどころか、むしろ戦争を誘発する要因になり得る現実に目を瞑りがちなのです。NPTの場合もこの傾向が顕著であり、誰もが核兵器の放棄=平和という等式を信じて疑おうとはしませんでした。否、NPTを疑いますと、‘異端’と見なされかねなかったのです。

 かくして、NPT加盟国は増加の一途を辿る一方で、トラテロルコ条約(中南米33カ国:1968年発効)、ラロトンガ条約(南太平洋諸国:1986年発効)、バンコク条約(東南アジア諸国:1997年発効)、ペリンダハ条約(アフリカ諸国:2009年発効)、セメイ条約(中央アジア諸国:2009年)など、今日に至るまでに地域的な非核化条約が凡そ10年おきに成立していきました。1992年には、韓国と北朝鮮の間で「朝鮮半島の非核化に関する共同宣言」まで打ち出されていますので、非核化は抗いがたい時代の大きな流れともなったのです。

 しかしながら、今日、人類が直面しているのは、NPT体制に起因する戦争であり、核戦争の恐怖です。その根底は、上述したように、未然防止策にありがちな‘結果の先取り’問題があります。性善説に基づく未然防止策が描いて見せた平和な未来は、一国でも性悪な国が出現した途端に幻として消えてしまいます。そこに残されるのは、‘持てる国’と‘持たざる国’との間の残酷なまでの不平等な格差です。後者は、前者から戦争を仕掛けられた場合、決して勝つことが出来ないからです。それが、人道に反し、国際法に違反する侵略やジェノサイドを伴うものであったとしても・・・。

 未然防止策に潜む破綻リスクを考慮しますと、NPTとは、全ての諸国に対して正当防衛権を認めた国連の第51条をも空文化したとも言えます。圧倒的に軍事力に差がある場合、正当防衛権とは、事実上、‘持っていても使えない権利’となるからです。ピストルを手にしている相手を前にしては、素手で自らの身を守ことができる人がいないのと同じことです。結局、NPT体制とは、抑止力を放棄した大多数の中小諸国に対する、核という暴力手段を独占的に保有している軍事大国並びに‘無法国家’の勝利を保障しているに等しいと言えましょう(世界権力がNPT体制を堅持したい理由の一つでは・・・)。

 しかも、仮に非核保有国が核保有国に対して通常兵器で自国の勝利寸前まで追い込んだとしても、相手国の核兵器の使用によって一瞬のうちに形勢を逆転され、多くの自国民が被爆すると共に国土が焦土と化してしまいます。軍事同盟によって‘核の傘’を核保有国から提供されている国も、自らも核攻撃を受けることを覚悟してまで同盟国が核兵器での報復を行なってくれると信じてはいないことでしょう。否、軍事同盟の信義から‘核の傘’を開いた時こそ、人類が遂に双方が核ミサイルを撃ち合う核戦争に見舞われるという‘終末の時’となるのです。

 残酷なるNPT体制の現実を直視しますと、ウクライナ戦争をこれ以上継続することは、犠牲ばかりが増えるのみであり、無意味で無駄なように思えてきます(利益を得るのは戦争ビジネスや戦争利権に与る勢力のみ・・・)。このように考えますと、ウクライナを核武装中立国としつつ、ロシアが自国に一方的に併合した地域については、住民投票を実施するなど、改めて国際法に則った手続きをもって法的地位を確定すべきではないかと思うのです。

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