花の詩山の詩

花の詩(うた)山の詩(うた)へようこそ
このブログは「花と山とを友として」の続編です

自転車散歩にて

2024年01月27日 22時00分54秒 | 自然観察
毎日のように自転車で近くを散歩しているが
さすがに今日の寒さには参った
家に飛んで帰って、暖かい甘酒を飲んでやっと
一息ついた
高山中学の側を通ったら、付近は大規模な工事の
最中だった
家内に聞いたら、学校の統廃合で高山中は廃校に
なるという
ウチの子供達が全員通った学校なのでなんとも
寂しい限りだ
もっちも自分が通った岩手の一関の小学校も
廃校になって建物も無い
その昔 萩の荘園と呼ばれる荘園が有ったと言われて
萩荘村と呼ばれていたが、市町村合併で一関市になり
そのような歴史も薄れてしまった
ふるさとは遠きにありて思うもの と誰かが言ったが
まさにそうかも知れない
市の東に聳える金鶏山には、黄金の鶏が埋められているという
伝説が残っている
平泉の藤原氏が黄金文化を開いた時代だから、あながち嘘とも
言えないかも知れない
私の知り合いに、それを信じて探している人がいた
さて、その後どうしたものか、噂は聞かない
最も見つけたとしても、言わないであろう
結果が恐ろしいからである


ロウバイの花



時の流れ

2024年01月03日 00時00分03秒 | 自然観察
娘家族が新年の挨拶に来たので、みんなで外食に行った
運良く一部屋取れて、楽しい食事会になった
我々夫婦以外は、みんな元気なのが何よりだ
しかし娘家族が帰ると、なんとも寂しい雰囲気になる
万博駅の近くに写真を撮りに行って、寂しさを紛らわす
雲がアカネに染まり、美しい夕空になった




風が冷たいので、暗くなる前にと自転車を飛ばして帰った






時の流れは、誰にも止めることが出来ない
自宅に帰ったら、知人に不幸があったことを知らされた
今日は何という日だろう
石川ては地震で何十人も亡くなったというし、羽田でも
事故があったらしい
若い時なら、負けずに乗り越えていこうと思えていたのに
そういう気概が薄れていることに気づいた
歳を経ると言うことは、そういうことなのだろうか

奥州の衣川の戦いでの問答を思い出した
義家に「衣のタテはほころびにけり」と呼びかけられた
安倍貞任が「年をへし 糸の乱れの苦しさに」と上の句を
返した話しはあまりにも有名だ

おそらく、みちのくの野蛮な一族と思っていた安倍貞任に
深い教養があることに気づいた義家は、追うことをやめた
と言う逸話を残している
私の田舎の一関市は、その時代の戦場だったはずだ
あの周辺には面白い地名が残っていた
今は市町村合併などで、町名が変わってしまったので
そのような歴史を知るのも難しくなってしまった
今はあるかどうか判らないが、「鬼死骸(おにしがい)」
などと言う地名も有ったと思う

昔、私が若い頃、三陸海岸を回ったことがある
そのとき思ったのだが、遠野物語などに描かれた
時代に、鬼と言われた人々は、日本人では無く
外国人の漂流者ではないかと思ったものである
背が高く、金髪もしくは赤毛の外国人は、みちのくの
人々には、鬼のような存在に見えたかも知れない
ネット時代の今の人には判らないだろうが、当時の
人々には、海の外からやってくる人は想像もつかない
存在だったと思う。


いつの間にか新しい道路に

2024年01月01日 23時02分40秒 | 自然観察
開けましておめでとうございます。
新しい年になってしまったので、昨年のことだが筑波山の
近くまで自転車に乗って行ってみた
いやー自転車だと遠いねー
久しぶりに筑波山の近くまで行ったら
道路が一新されて車道も歩道も広々とした
新しい道になっていたので、びっくりしたよ

広い道から望む筑波山

風は冷たいし、この時期の自転車の遠出は厳しいね
行くときは良かったが、帰りは風に吹かれていやになったよ
筑波山の近くの新しい道路は、歩車道が分かれているから
良いけれど、途中から自宅に向かう道路は分かれていないから
事故に遭わないように一段低い農道を走ってきたよ
そんな訳で、寒いしガタガタ道で疲れたよ

それでもタンポポが咲いていたからまだ救われたね